2009年 09月 02日
7月に建仁寺の両足院を拝観したおりに、対馬にあった以酊庵に輪番僧を勤められた方が、仁阿弥道八(二代目高橋道八)、華頂亭道八(三代目高橋道八)と交流があったことを知った。 その頃に明治となり、幕府御用の以酊庵はなくなった。文書は対馬にも残っているが、輪番僧個人の書き綴った日記や記録は持ち帰られて、両足院にも伝えられていることを、併せて知った。 対馬藩は、輪番の僧を大変丁重にもてなして、役目を離れるときは、茶碗60個などと、さまざまなものを贈り物としている。 すでに釜山にあった、対馬藩の和館の窯は1720年頃には閉じられて、対馬の志賀に窯が開かれてはいたが、殿様の茶碗蔵には代々のものが年代別、作者別に整然と納められていたといい、今でも大徳寺和尚由来の茶碗などが出回るので、高橋道八親子(二代目と三代目は親子)は対馬からの焼き物を見る機会はあっただろうと思う。 三代目道八の得手は、雲鶴、粉引、三島。 和館窯そのままだ。 三代目道八の、この、半筒茶碗は、どこか対馬を思い出させないでもない。 このブログの08年5月16日に虫干しをしたときの軸のひとつに三代目高橋道八戯画と、本人が箱書きしたものがあり、 軸の絵の松林と同じ感覚が、デジャヴのように、この茶碗に息づいている。 この三代目のときに明治維新になった。 三代目は四代目をつれて佐賀県に要請されて焼き物の指導に出向いている。 当時、島の振興に心を注いでいた殿様が、東京に出立した話をじじ様ばば様から聞いた、あの時代なのだ、と近頃ようやく、思い巡らすようになった。 隷書は「松看行奨」と書いてある。 もっとも右からレ点をつけながら読むので、マツヲミニイクコトヲススムになるのだけど。 よく手入れされた庭の松を見ながら毎日を過ごすような生活は望めないが、時折は、松滴庵のような心地の良い庭の見事な松を拝見に行って、また、思いつくままに松の木のある庭を転々と歩いてみたい。 ここにある松は自然の風景とは百も承知なのだが近所に松並木を探すのは難しくなった。
by coppoumon
| 2009-09-02 23:07
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Comments(2)
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apercevoir at 2009-09-06 16:38
ええ、色じゃねえ・・・
肌の色といい呉須の青といい~~なんとも言えん趣の茶碗じゃねえ。。 美味しいお茶がはいるじゃろうね~~ええね、これ、ほんまに。
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coppoumon at 2009-09-07 06:26
おはなちゃん、
きれいな御本のでた茶碗じゃけえ、見てる分にはよいけんど、お茶点てにくいかもしれんねえ。 |
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