2010年 02月 05日
深川製磁の方と唐子の話をした。大阪で、20年ほど前の話だ。 あるとき、神戸で對馬の焼物を探していたら、唐子の茶碗の古いものをたくさん並べてあったので、近づいて手招きされて、買った話である。 江戸時代、献上唐子が平戸藩の三河内で焼かれていたことは知っていたが、なぜか高台に三河内と銘がはいっていて・・ともかく証拠に買ったのだが、ということから、深川製磁のその方が、ルーペで丹念にその絵付けをみておられた。 「う~~ん。 あ、ここだ。ほら、これを御覧なさい。本当にわからないくらいだけれど、よく見るとトビがあるでしょ。 これは、時代であれば献上が出来ないんです」 たった1箇所、針先で突いたほどの細かな呉須の飛び。 「江戸時代が終わって、献上品が不必要になり、それでもウデに自信のある職人さんが描いた7人唐子ですね。だから、献上した時代のものではない、ということで、三河内のサインを入れたのだと思いますよ」 ここにアップしたのはその、写真である。 実物はもう無い。それもかわいそうなことをしたなあと、思うのだが、親同士も知り合いだった郷里の同級生に、江戸時代の萩と一緒に差し上げたのだ。差し上げて半年ほどして、比較したいことが出来て、見せて欲しいというと「え?そんなのもろうた?? いや。覚えてないけど。どこにおいたのかなあ」 ・・・ああ、あれほど、大事にするといったのは、口先だけだったのだな。 他所に行ってしまったのだろうと思った。 こういうものは縁がないと、本当に縁が無い。 同じ頃、雑器扱いであった伊万里が脚光を浴びて、だんだんと手が出ないような値段になってコレクターに買われていった。 収集に夢中だった某医師などは、菅野〇光氏作曲、古伊万里に寄せる尺八とセロとピアノによる3章などという音楽テープつきの写真集まで出して、それを褒めたものだから、本を買う羽目になって値段に仰天したこともあった。 我が家の小さな伊万里の皿は人物の絵が描いてあったなあ、とおもい、じっくり見ると七人唐子だ。 つたないが、あまりにも巧みな人物画だと使いようが無いからこの程度が一番すきなのだが、三寸、つまり11センチ半ほどの中に玉を追う三頭の龍と7人の唐子は正月の遊びを連想させる。 別の日、大阪府内で、分厚い紙に裏打ちされた李朝の民画が売りに出ていた。 「唐子遊戯図」 七人唐子だと思い込み求めて、封を開けると、やはり七人の人物。 よく見たらベビーカーの後ろは、おばあさんと息子なのだろうか。 正月風景とみなしたいのだが、寒くてこういう格好は出来ないという。 まあ、よい。 リアルに考えることも無いのだから。 巻き皺を作ったのは、私の大失敗。 いずれ、軸装にしたい。
by coppoumon
| 2010-02-05 16:12
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Comments(4)
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apercevoir at 2010-02-07 09:04
唐子がいっぱいじゃあ!
7人唐子じゃあ言うて、唐子の絵を見て人数を数えたことがなかったけん、 そのお話しにもびっくりじゃあ。 コップさんのところには~おちびちゃんがいっぱい集まるんじゃねえ(^-^)
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coppoumon at 2010-02-07 21:08
おはなちゃん、ほうよね。
唐子は平戸の殿様が使われたようじゃけど、李朝にも、唐にもあるんよ。 この間、新渡りいうて、江戸時代の中国で焼いた菱形の水差しを、みせてもろうたんよ。それには五人唐子がかいてあった。
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リトセア
at 2010-02-11 15:23
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coppoumon at 2010-02-11 20:59
リトセア様
七人唐子は殿様だけが使用できた、ということになっています。 その割りにある程度の数が出回っているので、 殿様のお席で、使用された、と解釈しています。 人数は書く手間というより、格式なのだそうです。 中国や李朝のもので、七人唐子は未だ見たことがありません。 |
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