2006年 01月 26日
ブログが100篇になりました。 前に書き続けた日記は一年間で100篇でした。ここに引っ越してきても同じペースで書けるかなあ、と危ぶんでいましたが、文章に写真を添えると、かなり文章が楽を出来、写真に文章を添えるとなれば、もっと考える事もなく半年で100篇もの日記を書いたことになります。 時々文章をチェックして書き換えたり、写真を入れ替えたりしながら、写真を上手になるためには撮りまくらなきゃ、といつも思います。 自宅は、浴室暗室化計画から何年も経過し口先だけでなかなか進展しそうもないところに、今度は夜のダイニングルーム全体を暗室化する「こいけメモリアルダークルーム」を考えています。 何故、こいけなのかはまた、ブログに書くでしょう。 たくさんの方々が来てくださって有難うございます。書き込んでくださったらさらに嬉しいです。 カテゴリー別に読みやすくしましたが、京都を読んでも京都案内になりません。大阪も然り。 私が住んでいた家の、江戸末期の絵図です。 中央の門と大きな屋根の建物は朝鮮通信史をもてなすための客館。門を出た右端の一角が私が育った場所です。 町割りに記憶はありますが、もはやこういう景色ではありませんでした。 客館は取り壊され広場になり、家の前の200坪ほどの空き地には映画館が建っていました。 住んでいた家も、庭だけはまだ残っていました。 こんなところから都会に出てきて、ほんなごつ、驚く事ばかり。 ばってん、この先も、そげな驚きの連続を、ブログに書き続けるだろうと思います。 で、ヒロシです・・と書きたかとばってん、ちょっとだけ違うとです。
by coppoumon
| 2006-01-26 23:41
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Comments(2)
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kinoplasmat at 2006-01-29 09:52
ご自宅の江戸時代の絵図が残っているなんてすごいですね。私ども素性のはっきりしない下々のものからは想像もつきません。ちなみにどのあたりにあった建物なのでしょうか。
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coppoumon at 2006-01-29 11:08
子供の頃、町の家々は、ほとんど江戸時代の建物でした。
寒波が来る日は二畳の小さな炉を切った部屋に布団を持ち込んで親と寝ました。 遊びはチャンバラだったのですが、小学校3年生の頃にGHQから野蛮だから止めるようにと、お達しがあり、チャンバラは出来なくなりました。 お里が知れます。 後は、別にコメントします。 |
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