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のんびりいこうよ

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2006年 07月 26日

国鉄があった頃

大阪に来て二度目に引っ越したのは阪急茨木市駅の近くで、まだ至る所に田んぼが見渡せた。
田んぼの中にこんもりと緑が繁っていてそこには小さなお社が祀ってあった。人気はないのにきれいに掃除が行き届いていたので、村のお社だったのかも知れない。
本を探しに小さな本屋を三軒ハシゴしたり、小さなスーパーマーケットに行く以外に駅と下宿先しか知らなかった。
国鉄があった頃_e0036151_2104048.jpg

田んぼが埋められて、新しい道路とビルが出来た。歩道の左側は川で現存しており、その左側は茨木城の町割りが残っているとされる茨木本町。

先日、幻と言われた茨木城の遺構らしいものが発見され、それを茨木市教育委員会が正当な評価をしなかったと新聞に出ていた。

茨木市の街並みはまだ江戸時代を伝える事が出来るのだろうか。そんな事を思いながら、無くなった江戸時代から続いた「薮蕎麦」の錦絵のような店先を思い出していた。

シャルモン。
19歳になった頃、こんなに美味しいケーキ屋があるのだろうかと、通い詰めた、ケーキ屋のシャッターが、ついに開かない。
大きなリーフパイ。ブルーキュラソのゼリー、ワインゼリー、モンブラン、生クリームのケーキ、プリンアラモード、焼き菓子の詰め合わせ。
国鉄があった頃_e0036151_2175848.jpg

ここは旧国鉄茨木駅前。
あまりにも様変わりしているが、道路や駅をここまでいじらなかったら、この商店街もこれまでのような活気があったに違いない。
寿司屋、食堂、喫茶店エスポワール、スナック、ラーメン屋。靴屋。
食堂には「町子ちゃん」というスピッツがいて、女店主の盲愛ぶりが痛ましかった。

この歩道の上を、7ヶ月、毎日通ったのだ。バンドのギャラを半分ピンはねされながら。
サックスの小父さんがバンマス。

業界語で言うと。ヤノピから5割、スーベから6割、コイタから1割ピンはねしていた事が解散時に分かった。メンバーの本当の職業は、郵政省、電電公社の職員だということも。

驚いたものだ。

それから、なんどかスカウトされて、
2年ほどしたある時、仕事の話を持ち込んできた中年の男がいた。
覚えのある郵政省勤めのバンマスだった。

またまた、驚いた。
二度と会うことはないだろう。

もちろん、やんわりと断った。



by coppoumon | 2006-07-26 21:16 | 摂津、茨木、高槻 | Comments(2)
Commented by ぺにゃん at 2006-07-29 04:07 x
昨日の朝刊にもちょうど茨木城の発掘、復元の記事がでていましたよ。
秀吉も家康も滞在したことがある重要な城なのだとか。

筋が変わったり、鉄道が廃止された後に残された商店街ほど寂しいものはありませんね。
福岡県の志免町にも、鉄道廃止に新道開通のWパンチで、見事なゴーストタウンができています・・・

あ、おくれましたがmixiからやってまいりました ぺにゃん です。
よろしくおねがいします。
Commented by coppoumon at 2006-07-29 08:44
べにゃん様、遠くからようこそ。
茨木城の本丸があったらしい場所は小学校になっていて
校門は城門、奈良の慈光院のものをコピーして里帰りさせてありました。
茨木も江戸時代の建物がどんどん失われています。


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