カテゴリ:考えた( 12 )


2014年 01月 15日

模索中のバッハ

頭の良い子だと、小さいうちからバッハを手ほどきする。
使う楽器は現代のピアノだが、学ぶことは多すぎる。
そうして、文科省のいうところの音楽の範疇をはるかに超えてしまい、これは義務教育で教える範囲、こういうことは学校では教えません・・などというので、子どもはそれを面白がって聞いている。

私が、初めて、平均律第一巻の12番をさらい始めたのは16歳の時だった。
次に学生だった頃にさらい、50歳になった頃に、演奏会で弾こうとして引っ張り出して、弾いてはみたものの納得がいかず、昨年からは、1番から順に楽譜を見ている。

若い頃より、今のほうが、たくさんの発見がある。

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そして、自分が弾くバッハを好きである。

昨年はちょうど12番で年が終わった。もうちょっとさらってみて、節分の頃には、次に進みたい。

12番の勝手が解った頃に手の怪我があった。

病院と自宅療養の2カ月足らずの期間は、結果的に人と接することから遮断されて、自分の手の中にあるものを見直すことで、改めて気づかされることがたくさんあった。

この先音楽を学んでいくことに、今、置かれている場所が、非常に幸せな環境だと、思う。
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by coppoumon | 2014-01-15 21:02 | 考えた | Comments(2)
2013年 08月 10日

11時2分の鐘がなったとき 8・8 2013

市役所の広報のスピーカーから鐘の音が聞こえ始めた。

あ・・・

と、目を閉じ黙祷を捧げる。

この時間、この暑さだったのか。

その次の日から更に地獄だった、という。
生き残った人達は、知人を求めて遺体を掘り起こし、廃墟となった広場に運んで焼却し、穴を掘った。
残留放射能など、知る由もないままに。

ゴッドマザーも4人の子供を失い、50年経った今も悲しい・・と泣いて、さらにそれから20年が経った。

どこかで生きているのではないかと探しに歩いて福田本町に来たとき、永井博士のお母さんが、茅乃さんを背負って「この子のお母さんが、まだ、帰らんとです」と何度も戸口に立っておられる所に出会った。と聞いた。

長崎は危ないかもしれん、いうことで、諫早の親類を訪ねて疎開させてもらう話になって、食べ物やなんかを持たせて貰って、その夜は泊めて貰って朝早く長崎に帰る途中でね、なにか、長崎の方でぴかっと光ったように思って、あら?なんだろう・・と思い、長崎に着いて、それが大変なことになっとったと・・・

と穏やかに話をするゴッドマザーの声の調子を思い出した。

今日から、敗戦記念の日まで、昼食を雑穀入りの日の丸ご飯と一菜で過ごし、亡くなられた方々の魂の平安を祈ることにした。
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by coppoumon | 2013-08-10 14:45 | 考えた | Comments(2)
2012年 08月 15日

終戦記念日 被昇天のマリアの祝日

終戦・・所謂敗戦の日。

8月15日はマリア様の帰天なさった日。
生身のまま昇天なさったので遺骨は無い・・のだそうだ。

朝早く、マリア様を玄関に連れ出した・・いや、安置したというべきか。

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携帯レンズで覗いたときは、不思議ないろんな光が入ってきていたが、アップしてみると全くわからない。

まあ良い。

乳香を差し上げようと、納屋に入った。そして乳香はあったのだが、水分を帯びてパラパラになる。
これでは点火できないので、納屋の別の場所に置いてあった兵庫産の伽羅を差し上げることにした。

そんなキャラちゃうで・・伽羅や言うても安もんやろ・・

空耳か?・・・いや、この、ぞんざいな言い回しは、きっとマリア様に違いない。

断食しますか?
・・・いや、伽羅でがまんしとく。

今日は終戦記念日でもあった。

湖畔の宿の替え歌を思い出した。

夕べ召されたタコ八が、弾に当たって名誉の戦死。
タコの遺骨は帰らない・・・タコには骨が・・・


遺骨が帰らないところは、まるっきりマリア様ではないか・・・

いつも、夏になるとと、なにかしら戦記を読む。
今年は、何か読もうと思いつつ、何か読んだだろうか。



死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石一つ残さなかった

死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子供
他には何も残さなかった
着物一枚残さなかった

・・・・・・・・・・

死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来る明日
他には何も残っていない
他には何も残っていない

(谷川俊太郎)



そうだ、

we’ve reach’d a deadline

a press headline ev’ry sorrow

blues value is news value tomorow

この、ノエル・カワードのブルースの歌いだしはどうだったっけ。

そこが気になると、何にも手がつかない。




終戦記念日だからお話をもう一つ。



お昼に日の丸弁当を食べ損ねたので、夕飯は梅干茶漬けのはずだった。

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蓮根と昆布のたいたん、いかなごの佃煮、奈良漬ひと切れ、豆腐にすだちをかけて。

ちょっと、豪華すぎただろうか。

ピアニストの安川加壽子先生が結婚式を挙げられたときは、戦争末期。
帝国ホテルが、苦労して卵をかき集めてきてくれて、メインディッシュが、オムレツだったのだそうで、
臨席した親類の男の子が「素晴らしい代用食だね」と言って、大爆笑になった、というエピソードを思い出した。
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by coppoumon | 2012-08-15 21:43 | 考えた | Comments(2)
2011年 07月 10日

ばらいろ爪

小学3年生頃、裏庭に鳳仙花をたくさん植えた。
4、5歳くらいだったお隣の女の子が鳳仙花で爪を染めるのだと言っては、花を取りにきた。
爪はピンクに染まるのだという。

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詩人の北原千代さんからいただいた「ばらいろ爪」は小さな女の子が夏中を楽しんだ鳳仙花を連想させた。頂いたのは、ちょうど、これから鳳仙花が咲く時期だったからだ。

中には、「本当に鳥が好きな猟師」「あめふり花」の2篇の詩と、エッセイと、翻訳詩が収められていた。

書かれた2篇の詩は、それぞれに、死の使いの影を見る。



    鎖をさすりながら じいさまは つるべに

    くらいところからの使者を 汲んでいた


と始まる「あめふり花」は不思議な詩だ。
あめふり花(釣鐘草)とつるべ(釣瓶)と、暗に言葉遊びをしながら、
そこには死を受容するじいさまと傍に立つ「わたし」がいる。
井戸をのぞくことを厳しく咎めるじいさま。
いつしか、「わたし」は井戸の底にいる。


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その詩が気になって仕方がなかった。
天使は「わたし」を吊り上げてくれるだろう。

さて、京都四条の路地の奥にある古い中華屋さん。
店の手前に置かれた中国製であろう金魚鉢の中で、少し深めの大きな鉢にたっぷりと水が張られ、
人影を見ると、餌をねだりに近寄る金魚を見た瞬間に、北原千代さんの詩が浮かび、
飯店での食事中も、様々な連想にとりつかれていたのだけれど、
その日の夕飯時になって、健啖君が、今日のお昼ご飯のとき、何で、あんな顔していたん?と聞いてきた。

時間をかけて説明して理解してもらえる話かなあ・・いま、晩ご飯食べてるし。
食事中にするはなしではないし。

また、改めて話せばいいや、と、料理が濃いかったからね・・と、混ぜっ返しておいた。


今日は、梅雨が開けたと思ったら37度まで気温が上がった。厳しいなあ。
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by coppoumon | 2011-07-10 23:37 | 考えた | Comments(0)
2009年 10月 11日

景教と秦氏

1700年も前のことなど、判るはずがないが「いすら井」という名の井戸を見たくなった。

いすらいは、イスラエルのこと。秦氏族が大勢で渡来したことは、いろんな文献で知っていたが、まずは、対馬に上陸したであろう、と誰も言ってくれない。

対馬の和多津美神社には三本鳥居が祭ってあり、京都にくるまでは、それが何だとは、脈絡も、関連付けもないままに、そんなものだ、という認識でしかなかった。

秦氏は聖徳太子とも、八幡神社とも、惟宗氏とも関連があるという。

郷里の八幡神社は10月10日が祭礼の日だった。いまは、その日に近い日曜日らしいが、蚕ノ社社はどうなのだろう、とおもい、ミサを休んで出かけたら、案の定、今日、11日が祭礼の日でみこしが出た。

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ここの三本柱の鳥居は、初代キリスト教ネストリウス派の影響を受けている、といわれる。
拍手を3回打つ。父と、子と、聖霊なのだ、という学者がいて、なるほど、とおもう。
鳥居の中央に小石を積むのも対馬と同じやり方で、おどろく。

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神輿が拝殿に置かれていた。何と、立派な、と思っていたら、担いでもうすぐ帰ってくるのはもっと軽いほうの神輿だというが、カチャッ、カチャッ という打楽器と太鼓の音がして、にぎやかに神輿が上下に揺れながら社に戻ってきた。

京都で、神輿の先触れに二組のこのカチャッ、カチャッという楽器が二人一組になって所作をつけて打ち鳴らしながら通っていくのを興味を持って、見た。
悪い気、悪霊を追い払うのには、カチカチ、カチカチと音を立てると良い、という話を聞いたことがあるからだ。
京都では、塩を撒くのを見たことは無い。
といっても、それほど多くの神輿を見たわけではないが。
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神主が馬に乗って来たなあとおもったら、そこで行列は終わった。

家々は、葵の紋のついたちょうちんを出している。

教会は、神様を礼拝するところ。神社は神様がおわしますところ・・・こういうふうな、説明を昔、聞いたことがある。
なるほど・・・確かに神社はパワースポットだとおもう。
確実に神様がいる場所なのだといわれると、神社だらけの日本のことをなんとなく身びいきながらうれしい。

サンマルコ大聖堂や、カンタベリーカテドラルなんて、比じゃないなあ。

京都の神社は、ときどきキリスト教のにおいがして、面白い。
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by coppoumon | 2009-10-11 23:02 | 考えた | Comments(0)
2009年 03月 15日

包む

大御所、堀口大学が、古賀政男の作詞をほめた。

そういう古い話で、私もまだ子供だったので、ディテールは思いだせない。

詞は恋の歌、「影をしたいて」。

良い詞だ、と堀口大学はほめる。

ただ、どちらでもよいようなものだけれど、「つつめば燃ゆる」の「ば」を「つつめど燃ゆる」としたほうが良いのではないかと、お勧めをしたら、古賀政男は一考して、いったんは包むのだけれど、とても包みおおせないほどに燃え上がりそうになる想いなのです。と答えていた。

私は、そうだなあ、大恋愛なんだものなあ。うまくいく恋なんてありゃしない。と訳知り顔で納得をした。


ずいぶん経って、ブラームスを弾くようになって、「包めど燃ゆる」と、いう、ひそかな思いや悲しみを、彼の音楽を通して知ることになる。

堀口大学は最晩年まで、流動し変化する日本語のなかで、その時々に最も美しいもの、真実なものを追究しておられた。

「ば」

「ど」

流行歌というのか、今では抒情歌というのか、「森の小道を静かにゆけば~~~」という歌詞があって、ばああああと、歌うばかりに品がないなあ・・と子供心に思ったものだ。
が、コブシを利かせた、ど演歌の真骨頂ならそれでもよいとおもう。

東風吹かば~~

これは、少しも変に思わない。
あ、発声が違うんだ。

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by coppoumon | 2009-03-15 19:30 | 考えた | Comments(0)
2009年 03月 15日

葬送

30年来の知人が召され、通夜、葬送の一連の演奏を引き受けた。

結婚式や葬送式の演奏は、他の教会、同じキリスト教でも他の宗派、他宗教に対しての矜持ゆえに、みっともないことはできない。

演奏会同様、偶発的なミスが起こることはあっても、準備や技術不足からボロボロになるような演奏は強く戒められる。

知人はクラシックの熱狂的な大ファンで、結婚前のデイトは演奏会場、名曲喫茶といった、対話のいらないところばかりで、と奥さまは苦笑いをされておられた。

それで、通夜の献花の時に、ピアノでショパンのプレリュードからホ短調、ロ短調、ハ短調を弾き、次にベートーヴェンのピアノソナタの31番変イ長調の第三楽章を弾いた。

プレリュードのホ短調、ロ短調はショパン自身の葬儀の際にオルガンで弾かれた。私の楽譜棚にリストがパイプオルガン用に編曲したものがあったが、教会には小さなアップライトピアノがあるので、敢えて、オリジナルを弾くことにして、次のベートーベンのソナタとの間には、ハ短調のプレリュードをはさむことにした。

200人くらいの方が来られ、入り口のドアを閉めることができない状態で、外の冷えた空気が入ってくる。
予報では大荒れになるはずの天気も、傘がいらないことは幸いだった。



後で、ブラームスがお好きだったと伺った。渋い。

包んでも、包んでもあふれ出る想い・・というのを主人が好きで。と奥さまはおっしゃる。

包む。

これについては、また書いてみたいと思う。
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by coppoumon | 2009-03-15 19:07 | 考えた | Comments(0)
2007年 11月 11日

日の当たるところと、影と

今日はおミサの中で、子供祝福式があった。子供祝福式というのは七五三のこと。

私は微熱の中で、オルガンを勤めていると、聖体拝領の途中で雹が降り始めた。
オルガンのパイプに挑むような強い叩きつける音だ。

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実は、今日、自死した古い知人の葬儀が大阪で執り行われているのだ、と思うと厳粛な気持ちになった。

新聞には、中堅太夫、竹本○太夫59歳。と本名とが記載された。私は本名しか知らなかったのだ。
36年ぶりに目にする彼の名。

彼に会ったのは、彼が石橋の、人間国宝の竹本越路太夫宅に住み込んで修行をしていた時代だ。
その後、私が演奏しているところに2回、地下鉄梅田駅を出たとこで、すれ違って声をかけられた時と、4回くらいしか記憶がない。

一度年賀状を頂いたが、それを見て恐れをなした。
なんと、文楽の太夫になろうという人の筆跡だけあって、見たことのないような、達筆家だったのだ。
中学卒業と同時に住み込んでいるということだったので、見込まれた部分が大きかったのだろう。
東北の出身だといった、弟がいると。

ピアニッシモでささやくように控えめに、感情を出さずに喋る彼を、私には文楽の世界がはなかなかイメージが出来ないままだった。

件の年賀状から、3度、私は引越しをしてそれっきりになっていた。




人間国宝に口伝を賜ったら、死んではいけない。さらに伝えなくては。

公演の途中での、アクシデントだと。

舞台人は舞台に穴を空けない。

じゃあ、死神に取り付かれたのだろうか。  しかし、それは、ある。

私の日常で、誕生と死とが一緒に進んだ日。今日は彼の魂の平安を祈ってオルガンを終えた。
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by coppoumon | 2007-11-11 23:24 | 考えた | Comments(0)
2007年 03月 09日

古伊万里

雷文に縁取られた内径が22センチほどのお鉢のなかは鶴の絵が描かれている。

伊万里は本来下手ものとされていて、道具の世界では省みられなかったらしいが、難しい約束事がなかったためかありとあらゆる絵がかかれていて、面白く、35年前にはすでにコレクターたちの的になり、だんだんと高価になっていたらしい。

清水焼の第一人者の森岡嘉祥氏が古伊万里の写しを焼かれ、一枚、私の手許にあるものを例に、焼かれた時代の技術そのままの再現の難しさを、私に語ってくださったことがあった。
・・・泣き、というのですが、このにじみの具合をどうやって薬で出すのか。失敗作で泣きの入ったものならあるのですが、そうではなくて、泣きが、技術なんですね。
こういうお話であった。

しかし、お鉢の外側に書かれた二面の絵はなんだろう。
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明治6年3月にキリシタン禁制が廃止された。
なんと、宣教師が十字架を掲げて隠れていたキリシタンたちを探している、その横に修道士が聖餅を皆に見えるように掲げているのだ。

鉢の裏には銘が入っており、禁制時代のものでないことは、明らかである。
この鉢を焼いた窯元はキリシタンで、ご法度廃止のニュースとして、このような絵付けをしたのだろうか。
鉢の裏側にもバテレンと聖餅と、お辞儀をしている修道士が描かれていて、共にバテレンの顔は喜びに満ちている。
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by coppoumon | 2007-03-09 21:44 | 考えた | Comments(4)
2006年 12月 14日

くりすます

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12月24日と1月1日がオルガン当番。
4週あるアドヴェントの第一週に、「来たれ、異教徒の救い主よ」を弾いて、二週目「目を覚ませと呼ぶ声がきこえ」,第三週は「羊は草を食み、狼は眠り」、第4週は「マニフィカート」と、教会音楽の楽しみは尽きないが、12月24日が第4週になったため、繰り上げてクリスマスのミサをやることになった。

クリスマスの曲は、大体仕上げてあったので、事前に寝込むような事態が起きても何とかその日までに元通りに仕上げられると思うが、その次の週に弾く曲が出来ていない。

次の週とは1月1日。

この日はバッハの、「旧い年は去り」という曲を弾く。
前にいちどだけ、この日にオルガンの当番が回ってきた時に弾いた。
それから何年たったのだろう。

この曲を作った年のバッハには何が起こっていたのだろう。しんみりとした曲であるがゆえに、淡々と右手のソロストップの音色の中にバッハを追う。

バッハは20人の子持ちだったが、育ったのは10人である。
恐らく毎年のように繰り返されたであろう誕生と葬送。

緩やかな4拍から成る1小節が1ヶ月を表わすのだろうか、一月が過ぎ二月が過ぎ・・・・。
12小節弾き終えては立ち止まって、瞑想をする機会が今年は廻ってきたのだ。

この曲は、365の音からなる・・と言われている。一度は数えなきゃいけないなあ・
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by coppoumon | 2006-12-14 13:41 | 考えた | Comments(0)