カテゴリ:郷里( 56 )


2015年 10月 21日

呉須・立亀窯御用茶碗

友人は、皿を見て、「これは、良い呉須!」と言った。

呉須。

看過ごすわけには行くまい、と、家に帰って、呉須で絵付けされた茶碗を出してみる。

本来、茶碗ではないのかもしれない。
鉢なのだろうか。

見立ての茶碗、ということにしてあるが、もし生存なら120歳近い歌野吉甫先生は、この茶碗を見て「ああ、こん御用茶碗は祝いに、50、100と焼いて配ったとかの~。汝(おうし)や、えれえもんば、見せてくれたのう」と、言った。
中学から高校に上がったころのことだとおもう。

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「今日は、萬松院で、能衣装ば、虫干ししよるけ、あとで来たら紅白饅頭ば遣ろうばい」と、従姉に声をかけていたのが60年前。従姉は、あの人は高校の社会の先生だ、といった。

ヘギに入った紅白饅頭は大きかった。そして、漉し餡だった。

いま、私は当時の先生の年齢を超えているのかもしれない。
饅頭を配るお役は、まだやったことはない。
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by coppoumon | 2015-10-21 18:44 | 郷里 | Comments(2)
2010年 11月 19日

亥の子

郷里でも、住んでいた町は城下なので亥の子はない、ときいていた。

子どもたちが丸い石や60センチほどの松の丸太棒の先を尖らせて、蔦蔓でくくり、四方から曳き各家の庭を突くのだそうだ。

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旧暦10月の初亥の日

ところが、町に亥の子の歌が残っていた。


亥の子 亥の子

亥の子の餅は 喰われん餅じゃ

鬼婆 ぢゃんば 角の生えたぢゃんば

ここの亭主は 横から見ても

縦から見ても 福の神々ぜ


もう一つの歌、


亥の子の餅は 喰われん餅じゃ

やつしやいろ やつしやいろ


伝えられている、歌は6つ。
どうやら寿ぎの歌らしいが意味はわからないという。


写真の亥の子餅は大阪、十三元今里の永楽堂寿浩製。
漉し餡をういろう生地でつつんだもの。
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by coppoumon | 2010-11-19 12:14 | 郷里 | Comments(0)
2010年 03月 14日

古渓忌

3月17日は古渓忌。

古渓和尚は、秀吉ににらまれて福岡に流されたので、福岡にも古渓和尚ゆかりの土地や、名前がある。
以前に、戦前、売りに出た古渓和尚所有だった對馬のお茶碗の写真を見たことがある。

戦火を潜り抜けることが出来たかどうか。その後、どこにあるのかは知らない。
對馬に京都五山から高僧が、輪番で滞在するようになるのはもっと後のことになるが、福岡に滞在した間に
對馬とのかかわりがあったかもしれないなあ、と想像をめぐらす。

厳原の郷土資料館が閉館されることになり、展示物はお向かいの長崎県立資料館で、展示されることになったと、知った。寄贈したものは誰のものになるんだろう。
私にも、町にも大切だから寄贈したはずなのだが。
寄託にしておけばよかったなあ、などと、忸怩とした思いが胎胚する。

そろそろ彼岸だから、家のお茶碗を出してお湯にくぐらせなければなあ、と思案中。

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写真は対州御本錐呉器茶碗。

携帯レンズでは上手く取れるはずもないが、見込みは深く、底のほうに御本が出ていて、色も赤というより紫に近い。
高台は約50ミリ。外側に少し開いた撥高台で、凛としている。
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by coppoumon | 2010-03-14 22:27 | 郷里 | Comments(2)
2009年 10月 26日

解決

郷里の墓地を、改めなおして、空いた場所をお寺にお返しすることを、以前から話が進まなかったのを、10月に入って、とんとん拍子に解決した。

寺総代の方にはお世話になりっぱなしだったが「頼まれたことは、自分のことのように丁寧に、自分のことは、他人の目のように冷静に」という古くからの郷里の人たちの教えがいまだに存在していることを改めて嬉しく感謝した。

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生きていたら50も過ぎたであろう兄弟が、山門横のほかの地蔵さんたちのいる場所にうつされて、涎掛けをしてもらって供養された。

帰郷すると、行って顔や頭を時間の許す限りなでてやっていたのだが、広い墓地に一人でいるのはなんだかなあ、と気にはなっていたのだ。

3週間ほどして、一昨日の土曜日、床についてから夢を見た。

ウイスキーの壜をなめし皮の袋に入れて大事そうに持ってあるいて来る男がいた。
あ、前に亡くなった従兄だ、とおもって、前をさえぎった。

向こうも、あれ?と、こちらを見ている。

何だ、オヤジだよ。
若い時の姿であるくなよ。

で、せっかくだから、そこまで付き合わないか・・・と私が誘うと・・・いやだよ・・そんなこといわずにさ・・・・
と、一緒に歩き始めると、お前が誘ってくれるなんて、けっこう、お前も良いところがあるんだなあ・・と上機嫌で父が言う。

いつも父が夢に出ると「あんた、死んだんやで」とか「死んでいるんやで。もう、お帰り」などとしか私は言わなかったので、父はしばらく出てこなかった。

さて、それはよいのだけど、私はどこへ行こうとしたんだろう。

・・・・酒場か。
・・・・墓場か。

夢だけに、可笑しい。


11月1日は萬霊節。
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by coppoumon | 2009-10-26 19:44 | 郷里 | Comments(0)
2009年 08月 08日

季節のご挨拶

いつも季節ごとにご挨拶をする、後期某というカテゴリーに組み入れられたご夫妻も、それなりにお変わりがないご様子だ。

・・・時に、なんとか、しのいで、時に片足を棺おけに突っ込んでおる様な次第でございます。、今日は、お声をお聞かせいただいて、久々に笑わせていただきました、とリップサービスにも余裕があるので、お元気なのだろう。
奈良漬をお送りしたい、と申し上げると、あつかましいようですが、甘い目のを好きでございます、とおっしゃる。

なるほど、奈良の奈良漬は濃い。大阪泉南郡のも濃い。

今回は、赤いブリキの缶に入ったフランス製のガレット、森半の冷茶、京飴、大極殿のとりどりの和菓子、錦市場で求めた奈良漬などを詰めて季節のご挨拶にした。


ついでに、近しいところにも、暑中見舞い代わりに奈良漬と、雲月の昆布を送ったら、
「大きな立派な瓜が着いたとよ、まあ、こっちでは手に入らない立派な瓜が・・・何でも、ほしいもんのあったら、言わんですか・・・」と申される。

そげんこつなら、思案ばしますけん、待ってもらえんですか、と、口真似をしたら大笑いされた。

そして、思案をする間なしに、荷物が着いてこちらが驚いた。
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島の暮らしには、京都のものは、新鮮な喜びなのだそうだ。
それにしても、海老で鯛を釣るようで申しわけないが、いつものように気兼ねなく甘えさせていただく。
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by coppoumon | 2009-08-08 00:22 | 郷里 | Comments(0)
2009年 04月 29日

季節のごあいさつを郷里へ

幼稚園から小学生の頃。
小学生から中学生の頃。
高校生の頃。

郷里でそれぞれにお世話になった方々がご健在で、いつも何かと郷里のものをお送りいただき、こちらも少し季節のものをお送りしてご挨拶をする。

まず電話で、様子をうかがうと、「病気に追われて、半ば寝たきりの日々もあり、寝たきりは退屈でございます」などと、申され、それでも、ご夫妻で、相応にお元気そうだった。

今回は、水を入れて炊飯器で炊くだけの赤飯、奈良漬、鶴屋八幡の練羊羹、俵屋吉冨の和菓子一通り、びわこの川魚、いかなご、すぐき、高知のケチャップ。母の家の近所の、レーズンがぎょっとするくらい入ったパン。伊勢茶。

奈良漬は、今回は阪急デパートの贅沢漬。俵屋吉冨の和菓子は、添加物が一切入っていないので、好きだ。
伊勢茶は、畑中製茶。ご家族だけで栽培されていて、美味しく、常用して飽きが来ない。そこに、この畑中さんのお茶は伊勢茶で一等賞を取られた。
と、いわくのついたものばかり。

どうしても、食が細くなるので、本当においしいものが、ちょっとだけ口に出来たら幸せ、と母は言う。
母は、その、ちょっとだけを一日4,5回つまみ食いをやって、食の細いのをカヴァーしているのだそうだ。

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あとで、入れ忘れたお干菓子があったのに気づいた。
ま、いい。
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by coppoumon | 2009-04-29 22:53 | 郷里 | Comments(2)
2009年 04月 20日

同じ手なのだろうか

伊羅保茶碗を手に持つと軽い。
手のなじみ具合に何か覚えがある。

そういえば、春分の日に茶碗類を出して、湯にくぐらせてやらなかったなあ、と思い、見るだけで使わないことにしている茶碗と並べてみた。

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やっぱりなあ。
シルエットが同じなのだ。

江戸時代、茶碗稽古と称して對州焼に携わったお武家さんは85人ほど。
たくさんの焼き物を見てきたが、いろんなものが焼かれていて皆個性的だ。
だが、製作するときに、何か細かな約束事があるのだろうか。

鉄絵で草文が描かれた茶碗も不思議だ。
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同じ草文のものが別のところに伝わっている。
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これも、同じ人の手になるものだろうか。

これは藩窯でありながら作者名が伝わっているが、ここでは書かない。
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by coppoumon | 2009-04-20 19:57 | 郷里 | Comments(2)
2009年 04月 10日

對州伊羅保

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しまもの、というのは、対馬の、という意味である。

1743年に和館で焼かれた最後の荷物が対馬に届く。
それから約50年たって対馬島内で窯が開かれたという記録がある。
50年の間に試し焼きや、技術の継承の努力があった痕跡は発見されているが、
しまもの、とあるからには、和館のものとは区別がされていたのだろうか。

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数百年の間、よほど大事にされていたのか、殿様の蔵にしまわれたまま明治が終わってしまったのか、
使用感のない、まだ、新しい感じさえする。
茶人は、数百年前のものに、古色がないことをいぶかしがる、と、昔に聞いた話であった。

大正、昭和のはじめに殿様が手放した茶碗類は年代、作者別に整理されて長い年月眠っていたというので、その時のものなのだろうか。

そうすると、仙屈という銘のように、これからも使われないままま眠りにつくのだろうか。
箱書きは重々斎宗匠。

デリケートなニュアンスをもった茶碗である。
高台の中の細工の見事さ。
釉薬を少し外した土見せの部分のある釉のかかり具合。
つややかさ。
軽さ。
大きさ。

携帯レンズではなくて、時間のある時に、ゆっくりと、カメラで撮ってみようとおもう。
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by coppoumon | 2009-04-10 11:48 | 郷里 | Comments(0)
2008年 11月 20日

亥の子

国許は城下町で育ったので、亥の子を知らなかった。

友人たちが故郷で教鞭をとるようになり、村々で異なった唄を歌って、子供たちが門つけに回る風習があることを教えてくれたのは、数年前のことだった。

歌詞も旋律も村によって違いがあるらしい。

ひと昔前までは、村がそれぞれに盆踊歌を持っていて、それを村の神社の境内で唄い踊って氏神へ奉納する習わしがあったことも、こちらに来て知った。

みんなでやぐらを組んで輪になって踊る盆踊りとは性格を異にしていたようだ。

亥の子は何なんだろう、歌詞もほとんど不祥だという。何かを言祝いでいることもある、という。
途切れないで続いて欲しいなあ、とおもいながら、追体験代わりに亥の子餅をたべた。

これは餅なので、日持ちがしない。肉桂の香りが高く、ゴマも香ばしい。中は粒あん。
鳴海餅の御製。
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by coppoumon | 2008-11-20 22:47 | 郷里 | Comments(2)
2008年 10月 22日

振り向けば

京阪電車の中之島新線が開通した。
早速大江橋まで乗ってみる。そこからだと梅田まで歩くことになるがお天気の日はそれが良い。
駅は木がふんだんに使われていて、地下深くにいることを感じさせない。
ところがエスカレーターを見たとたん、その長さに、ため息が出そうになった。


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そのエスカレーターを上がって、駅を出て振り返ると向こうに西天満が見えている。
写真左側の、高い建物がある場所は、對州藩の藩邸があった場所の一部だ。
その裏は、道路拡張によって少し削られてしまった。

味の素のビルだったころは、南西角のガレージがそっくり蔵の敷地として残っていたのだった。
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by coppoumon | 2008-10-22 22:20 | 郷里 | Comments(4)