カテゴリ:摂津、茨木、高槻( 13 )


2011年 11月 24日

再び、茨木 その2

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椿の本陣の蔵の中に展示してある、諸法度の高札の一枚。
なんと切支丹ご禁制。

風雪に耐えた高札が心に痛い。

南禅寺にも切支丹御法度の高札が保存されているが、それは墨が黒々としていて、蔵か何かにしまわれたまま日の目をみなかったような感じがして、それほど胸に迫るものではなかった。

この高札はほとんど判別できないくらいに薄れた文字の中に江戸よりの沙汰により、とある。
何度か目にせざるをえなかったであろう、茨木の山奥にひっそりと隠れていた切支丹たちのことを思った。
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by coppoumon | 2011-11-24 23:10 | 摂津、茨木、高槻 | Comments(0)
2010年 04月 04日

移転・京大農場

この30年ほどの間、リビングから見てきた外の景色で思うのは、見通しが利かなくなったこと。
目の前が空き地で、淀川に向かってずっと田んぼが広がり、堤防の向こうに高槻から島本町がありぽんぽん山が季節ごとに色を変える。

京阪、阪急、JR、新幹線が走り抜けるのを見たり、雲の低い日には、それらの電車の走行する音を聞き分けたり出来た。

千里の太陽の搭、高槻電車区はもう、いくら目を凝らしてみても判別ができない。
変わりに樟葉駅前のタワーマンション、高槻駅前の大きなマンションや、関西大学の建物が出現した。

旧高槻電車区から京大農場を通り抜けてみた。北海道をイメージして作られたという農場は静かだ。

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移転とはいえ、さまざまな種類の洋ナシの樹木が手入れされている。
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梨園だったのか・・としばらく歩くと大きな梨の木一杯に花が咲いていた。
気温は低く、冬日だったので、ハナアブやミツバチの姿は無い。
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この辺り一帯は遺跡なのだそうで、開発はされないだろうという声を聞く。
そうして水路の柵の手前は道路になり、もはやこれ以上細分化や、分筆は出来ないだろうと思うような敷地にぎっしりと家が立ち並ぶ。
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by coppoumon | 2010-04-04 11:24 | 摂津、茨木、高槻 | Comments(2)
2009年 10月 02日

移転

18才のとき茨木市に住んだ。
19歳になったころ、初めて一人で京都に出かけた。
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雪の日だったので、高槻の街はこういうイメージだっただろう。この写真は相当古く、植栽から推察すると、出来て間もない頃の大阪医科大とおもう。

で、設計はヴォーリズ。


阪急電車からは、医大の北側に京大の農場がしばらく眺められて、大阪からも京都からも郊外なのだなあ、と印象を持った。

業平が御所から姫君を盗み出し、京大農場の裏の西国街道を芥川までひた走った場所が、このあたりなのだ。

倣って、好色男の夢之助が、京都近郊から逞しい百姓女(原文のまま)となさぬ仲になり背負って逃げてきた芥川。
まだまだ、江戸時代の名残は残っていた街道筋に、鬼が姫を取り戻しに潜んだ場所もあった。
見渡す限り田んぼだったから、平安時代とそれほど違わない風景だったのだろう。

そういうことを空想するのに充分な場所柄だったが、家々が建ちこみ始めた80年代からは無残なほど江戸時代が消えていった。

サンスターも、明治製菓も、真っ暗闇の田んぼの中に、長い時間、美しいネオン看板を輝かせて、そろそろ電車を下りなければ・・と、京都の街から帰ってきた自分を迎えてくれているような、そういう思いにさせてくれた、のんびりとした街だった。

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この、農園の裏には田んぼのなかに能因法師のお墓があったが、田んぼが消えて、変わり様に驚く。

農園があった時代。

私にとっても良い時代だった。
履歴書は書いたことが無い。それでも仕事に追われた。

いずれ60歳になったら、それまで生きていられたら、人を謝絶してピアノばかり弾いて暮らそうと、考えていたことは思い通りにならなかった。

腹も立たない。

それは国が年金を65歳からに引き上げたからではなく、個人年金の、保険会社の運用の悪さを思うわけでもなく、「ママになるのは米ばかりじゃあ」と友人の母上が冗談交じりに行っていた言葉が素直に受け入れられるからである。

しかし、こんな広大な土地が、移転していくとはおもわなかったなあ。

何も変えない。

こういう思い切ったことは、だれも思いつかないようだ。
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by coppoumon | 2009-10-02 00:23 | 摂津、茨木、高槻 | Comments(2)
2009年 04月 19日

花の別れ

今年もヤマザクラの「苔清水」が花をつけた。写真を撮りに出た日は開花して3日目で、散る寸前。

苔清水かどうか、私が花を見て判断しただけで、本当にそうなのかどうか、桜の同定は難しいとされるので、正確にはわからない。

しかし、この自然生えの桜の、親に当たるであろう木が南側の神社の中にあり、相当な大木になって花を咲かせてくれる。

実際には小さな花である。しかも4日目には散る。

今年、高槻の公務員官舎の植え込みに、この苔清水とそっくりの花を2本見つけた。
写真を撮っておけばよかった。
それも、また来年の楽しみにしまっておこう。

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by coppoumon | 2009-04-19 23:00 | 摂津、茨木、高槻 | Comments(3)
2006年 07月 26日

国鉄があった頃

大阪に来て二度目に引っ越したのは阪急茨木市駅の近くで、まだ至る所に田んぼが見渡せた。田んぼの中にこんもりと緑が繁っていてそこには小さなお社が祀ってあった。きれいに掃除が行き届いていたので、村のお社だったのかも知れない。
本を探しに小さな本屋を三軒ハシゴしたり、小さなスーパーマーケットに行く以外に駅と下宿先しか知らなかった。
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田んぼが埋められて、新しい道路とビルが出来た。歩道の左側は川で現存しており、その左側は茨木城の町割りが残っているとされる茨木本町。

先日、幻と言われた茨木城の遺構らしいものが発見され、それを茨木市教育委員会が正当な評価をしなかったと新聞に出ていた。

茨木市の街並みはまだ江戸時代を伝える事が出来るのだろうか。そんな事を思いながら、無くなった江戸時代から続いた「薮蕎麦」の錦絵のような店先を思い出していた。

それより、19歳になった頃、こんなに美味しいケーキ屋があるのだろうかと、通い詰めた、ケーキ屋のシャッターが、ついに開かない。
大きなリーフパイ。ブルーキュラソのゼリー、ワインゼリー、モンブラン、生クリームのケーキ、プリンアラモード、焼き菓子の詰め合わせ。
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ここは旧国鉄茨木駅前。
あまりにも様変わりしているが、道路や駅をここまでいじらなかったら、この商店街もこれまでのような活気があったに違いない。
寿司屋、食堂、喫茶店エスポワール、スナック、ラーメン屋。
食堂には「町子ちゃん」というスピッツがいて、女店主の盲愛ぶりが痛ましかった。

この歩道の上を、7ヶ月、毎日通ったのだ。バンドのギャラを半分ピンはねされながら。
サックスの小父さんがバンマス。

業界語で言うと。ヤノピから5割、スーベから6割、コイタから1割ピンはねしていた事が解散時に分かった。メンバーの本当の職業は、郵政省、電電公社の職員だということも。

過ぎたるは何とかで、バンマス、ここまでやってくれるとはご愛嬌。
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by coppoumon | 2006-07-26 21:16 | 摂津、茨木、高槻 | Comments(2)
2005年 10月 02日

西国街道・古曾部

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JR高槻駅北口を出ると、本来の西国街道がある。
駅前の、嫌でも目立つ天満宮の大鳥居を右に行けば京都へ、左に行けば西宮。
今回は右へ曲がって京都方面にむかう。
実は鳥居を右へ曲がったとたん、そこは古曾部なのだ。そして5分も歩くと古曾部と別所という地名の変わる辻があり、小さな祠と一緒に元治二年・1865年再建の、この石碑がたっている。
能因法師稜・・おもわず「石のうえにも300年」などと気の利かないフレーズがついて出る。
この石碑と対面するかのように田んぼの広がる山手に、塚が見えたのかもしれない。

能因法師の別名は古曾部入道。

これが能因法師の塚である。以前は田んぼの中にぽつんとあったのが、近くまで人家が押し寄せて、田んぼはこの塚の北側が埋められ駐車場になってしまって、見るも無残である。
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後拾遺集で「わがやどの 梢の夏になるときは 生駒の山ぞ 見えずなりぬる」と詠まれた生駒山の見えるポイントを探してみたが、かなり難しい。
やっと向うに生駒が望める場所を見出した。日吉神社の近くである。
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高台を駅に向かって下りる。
そういえば20代の頃ここに奥田君が住んでいて周りは田んぼで、ぽつんと明かりがついた一軒家に、夜たずねたことがあったっけ、と見覚えのある坂を徘徊してみたが、なんとまあ、どのお宅も新建ちで、皆さん奥田姓で、誰にも会わなかったので、探すのをあきらめた。
突拍子もなく、昔の記憶がでてくるものだ。
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by coppoumon | 2005-10-02 22:23 | 摂津、茨木、高槻 | Comments(0)
2005年 09月 25日

旧高槻電車区

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6,7年前から、高槻でパイプオルガンを弾くことになり、足繁く通うことになった。
阪急高槻駅から歩いて歩けない距離ではないからと、北に松原というところでJRの跨線橋に上がり、必ず目にする景色がある。
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車庫への引込み線がアミダくじのように見えるこの場所を好きだが、先月から左手の空き地に建材の倉庫が出来てしまい、原っぱがアスファルトで固められて、目立つ紅い看板のついた倉庫が出現してしまった。いつもフォークリフトが重ねたパネルをせわしなく出し入れしている。
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実は、この写真の奥、突き当りの山の右手に我が家がある。
丘のように見えるこの山は石清水八幡宮のある男山(おとこやま)。この写真では大阪方面から男山を見ているが、逆に、京都側、清水の舞台に立つと天気の良い日は、この男山の南側に京橋や、梅田のスカイビルが見えている。

我が家からJR在来線、新幹線、阪急が確認でき、夜半には新幹線がシューッという音を立てて走るのや、在来線の音などを、耳を済ませて聞いた。
もちろん新幹線や在来線、阪急に乗ると、我が家を確認することが出来たが、今では建て込みすぎてそういうことは困難になってきた。
家の前の道路も車が多くなって、滅多に窓を開けなくなり、遠くの音を聞く楽しみは、今は無い。

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7年前に所在を知ったこの建物は、旧高槻電車区。
上阪してまもなく、何かと良くしていただき、お世話になった旧国鉄職員の方がここで働いておられた。
あるときパッと両掌を私に見せて,力仕事の割に手にマメとかできていないだろ・・・と言っていた力仕事をしておられたのが、ここだったのだ。
あれから何年過ぎたのだろうか。

オルガンがある教会はここから5分のところ。練習の帰りにこの道を歩いていると、「おお」と後ろで声がするような気がしてならない。

私の不手際から長く音信不通になっていて、会うだけのために、勇をもって会いに行きたいと、近頃、そう思う。

(10月2日、写真を入れ替え、加筆)

カメラはアルパ10d レンズはマクロスイーター50mm F1,9
2枚目の写真のみレンズはキノプティック100mm F2,0
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by coppoumon | 2005-09-25 22:49 | 摂津、茨木、高槻 | Comments(2)
2005年 09月 05日

茨木で・ 町並み

上阪して間もなく、住んだ茨木で初めて同じ歳の友人ができた。
バイト先で知り合った体大生。
松本の出身で四分の三サイズの頃まで才能教育のヴァイオリンに通っていて、フルサイズに変えるときに止めてしまったと言っていた。
いつも一張羅のツイードの渋いジャケットを着て、きくと「ああ、これ?オヤジのお下がり。時計も質屋に入れれるように、と持たせてくれた」と屈託無く笑った。
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この食堂の前にパチンコ屋があって、偶然にこの道で出会うと、パチンコに勝ったからと、この食堂でおやつ代わりにカレーをおごってくれたことがあった。
店の名を紅清とは記憶していたが、べにせと読むとは知らなかった。ひょっとすると、VENICEで言葉遊びをしているのだろうか。

その後、彼は二回生になる前に、「冬休み前から考えていたんだけど身長167センチではセッターなんか無理なんだ、3月で学校を辞めて東京に出るよ」と去り、共通の友人がいなかったこと、こちらもその後6回引越しをしたことから、消息が途絶えてしまった。

ある日、初めて見る「岩手日報」に彼と同じ名が載っているので食い入るように読むと、アイスホッケーの指導者だった。何かの表彰の写真だ。
更にがっちりとした体格になってはいるがシルエットから彼に違いない。

折りがあれば彼に会おうと思う。

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(上の写真は2002年10月撮影。この建物は茨木神社近くにあったが、現存せず。アルパカメラ、レンズはマクロスイーターF1,9 50ミリ)
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by coppoumon | 2005-09-05 20:05 | 摂津、茨木、高槻 | Comments(0)
2005年 09月 05日

茨木で・ 閉館しました

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茨木には二軒、映画館があった。
一つは虎谷書店近くの茨木神社前にあった松竹系のものが配給される小さな映画館で、そこは入り口というか、切符売場だけは京大の西部講堂をおもわせ、通りから少し入り組んだ町なかの場末といった感じがしたが、もうすでに場所を特定することができない。

現存する茨木東映は、茨木神社裏にあり、ひっそりとしたたたずまいであった。ここも散歩に通りがかったことはあるが入場したことはなかった。

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この道は東映映画が提供し続けた、映画文化へのプロムナード。
ところが残念なことに8月31日を以って、建物老朽化のために閉館します。と張り紙がしてあり全く人の気配がないのだ。
入り口から覗いてみると三歩も進めばホールへのドアであり、建物左右の非常出口の向うには奥行きの浅さを隣家の壁が示している。
60人くらい入れるのかなあ。
茨木には珍しい、モダン建築だった。
最後の映画は成人指定の三本立てだったようだが、映画館の袖壁には少年コナンのポスターが貼られていた。
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by coppoumon | 2005-09-05 13:03 | 摂津、茨木、高槻 | Comments(2)
2005年 09月 05日

茨木で・ 心斎橋通り

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虎谷書店は明治期の堂々とした立派な木造建築で、広い道路の無かった茨木の旧市街の一つの目印になった建物であった。
店は東南の角に面しており、現在この看板は南北を通る幅2,5メートル足らずの、路地のような通路のような通りに面して掲げてあったので、私の立つ位置が、「心斎橋通り」であるらしいことが推測できた。

この「心斎橋」は歴史的に古くから市場のような性格を持っていたのかもしれない。
初めて見た頃は食堂、お茶、紳士服、寿司屋、お好み焼きやが、これこそ二間幅くらいの店ばかりひしめいて、後になってできたであろう交差する大きな商店街への抜け道でもあった。

この橋を、心斎橋というのだろうか。それとも、今ではほとんど人気の無いこの通りの賑わいを、大阪の心斎橋になぞらえたのだろうか。
橋は90センチほどの長さの石を二つ組んで欄干にしてあり、花頭風に刳り形がデザインされていて、近くの梅林寺への参道の名残なのだろうかともおもうが、よそ者の悲しさで経緯を全く分からずじまいで、「心斎橋」は、関西人の冗談なのだろうと、理解してきた。

虎谷書店の南向かいには、私が茨木に来てすぐに、道路拡張のために立ち退いた「やぶそば」という浮世絵から抜け出たような江戸時代からの老舗があったので、このあたりの賑わいは一入であったのかも知れない。

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虎谷から北へ心斎橋通りを歩くいて梅林寺にでる。
ここで来た道を振り返って見ると、右側の広い空き地に、木造の商家がニチイの看板を上げていたことを思い出した。
砂利道で青空天井。今は色つきの石畳ふうになって、逆に場違いな感じがする。

ここに、紙屋があった。紙屋といっても、クリネックスティッシュが上陸してくる以前の話で、身体を拭う場所によって、様々に使われる紙の種類があり、この店では火が出るとどうなるんだろうと思うくらいにそれらが積み上げてあったのだ。

ピンク色した「桜紙」、「吉野和良(やわら)紙」、「御簾紙」、「京花紙」、「浅草紙」・・・もう記憶には紙がない。

ちりがみのことは「京花紙」であり、そういえば、アパートのトイレには反古紙を漉き入れたグレーに近い色の固めのざらざらした紙が大量に積んであったことを思うと、ここは、町中のアパート御用達しの浅草紙屋さんだったのかもしれない。

浅草紙。この呼称、大好きである。穿った見方かも知れないが、紙でありながら、色が黒くて
感触が、まるで海苔のようだ、というところから命名されたのだろうか。
紙漉き職人のユーモア。ノリの良い話だ。

今も心斎橋通りなのだろうかとアーケードを見上げると、なんと、頭上には片言のおフランス語が。

PASSAGE SHINSAIBASI  

パサージュなんですか。 今はパリになっちゃった。このノリも買っちゃおうっと。
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by coppoumon | 2005-09-05 09:47 | 摂津、茨木、高槻 | Comments(2)