カテゴリ:絵いろいろ( 11 )


2016年 08月 01日

立ち雛

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by coppoumon | 2016-08-01 10:00 | 絵いろいろ
2013年 07月 22日

虫干し 2008年5月16日を、2013年7月22日に加筆

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by coppoumon | 2013-07-22 21:09 | 絵いろいろ
2010年 07月 04日

京都のお寺で、竹ばかりの屏風と、軸が出ていて、それらで取り囲むように人物が書かれた7本の軸が並べられていた。
なるほど、竹林七賢人の雰囲気を作ったのか・・と。

こういう遊びができるお寺はいいなあ、と、一枚ずつの竹の絵を丹念に拝見した。

中に黙雷和尚の軸が2本あった。

黙雷和尚は、江戸時代末期の壱岐の生まれ、昭和7年没。

私はこの人の書を好きであるが、絵は初見だった。

わが家にも、和尚様と同時代を生きた人の絵がある・・とおもい、雨の日だったが軸を出してみた。
出すと、かすかに伽羅がにおう。

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七夕の間、ずっと出しておこうかなあ、と暦を繰ると、旧暦の七夕は8月16日。
大文字の日と重なる。
天気が良いと、この日は京都市内は消灯があるので、天の川が見えるかもしれない。

七夕が済むと、すぐに秋になるのだなあ・・と暑中見舞いを出す前から、そんなことを考えている。
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by coppoumon | 2010-07-04 23:05 | 絵いろいろ | Comments(4)
2010年 03月 26日

冬のような春

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桜が咲き始めて寒い日が続く。
最低気温二度。最高気温十度。あすは最低気温が零下一度だという。
わが家から数軒先のお宅は、梨の花が満開である。

一週間前は28度まで上ってバスに乗ると冷房が入っていた。
温暖化が進むと、3月にこういうちぐはぐな現象が起こるのだと去年も聞いた。

日が長くなって、夕方まで、珍しいくらい明るい日差しが入っていた。
外に出さえしなければ、確かに春だ。

柳の軸を出したが、日焼けしないうちにしまいこんでしまおう。
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by coppoumon | 2010-03-26 20:01 | 絵いろいろ | Comments(4)
2008年 12月 27日

雲鶴

もうひとつ軸先の話。

朝鮮民画がある。

裏打ちだけしてくるくるっと、丸めたままで放置しておいたが、唐子の絵だ。
5人唐子で、じいやと、ばあやの7人が、竹馬や乳母車で遊んでいる図。
隣の国の正月風景なのだろうか、と思うが、向こうの正月は寒いのだそうで、服装とはあわないなあ、などと、考える。

しかし、いつかは軸に仕立ててやらねば、とおもって、軸先を絵に合わせて雲鶴(うんかく)で、製作してもらった。

作家の軸先とは、どういうものだろう、と楽しみで、見本を渡した。
型で焼くのかと思ったら、轆轤でひくのだそうで、手間ではあるらしい。
見本のものは職人が挽いたようで、自己主張のないすっきりとした仕上がり。

作家のものは、立派に主張がある。
そこのところが面白い。
あくの強い絵にはそれなりの軸先が似合いそうだ。
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軸先のコレクションも面白いだろうなあ、とおもった。
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by coppoumon | 2008-12-27 20:46 | 絵いろいろ | Comments(2)
2008年 12月 26日

軸先

南画の大家といわれた宗重望公の作品のうち、戦後の仕立てではないかと思われる一対の軸がある。

明治期、南画は日の当たらないところに位置付をされたように専門書には書いてあった。
家にある軸もあまりよい仕立てとはいえず、軸先に至っては樹脂である。
樹脂といっても、昭和のはじめに、憧れの素材としてアメリカから渡ってきたプラスティックではなさそうだ。

いずれ、近いうちに仕立て直しをすることにして、軸先を焼いてもらうことにした。

10組ほどの中に、お願いした以外のものがあって、どれも面白い。
骨ばったほうを冬の軸に、文様の入ったほうを春の軸に使ったらどうだろう、と思う。
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今年は、クリスマスに自分のためのものがこうして与えられた。
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by coppoumon | 2008-12-26 00:03 | 絵いろいろ | Comments(2)
2008年 09月 27日

藩主の足取り

重望公は最後の藩主になるのだろうか。
若いころの、髷を結い、刀をさした普段着の写真を拝見したことはあるが、それはもうひとつ先代の父君の写真だったかも知れない。

重望公は慶応3年・1867年生まれ、大正12年1923年没。

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明治40年、現在の町田市にある香山園を訪れて、書いた絵。
40歳になった彼の作品である。

香山客舎というのは、瑞光殿で、明治39年に建て替えられたばかりだった。

今年で101年目の秋が、まためぐってこようとしている。

私には重望公と菱田春草が、どこかでダブる。

活躍した時期が同じころで、同じ表装の軸を見たことがあるのだ。

春草の「帰漁」という絵も晩秋を題材に雁が飛んでいた。

重望公の絵には、心を開放させるものがある。

しかし、春草の絵は、暗いのに、どこかしら懐かしさを感じた。

だから、それがどうした、というものではないのだけれど。
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by coppoumon | 2008-09-27 11:53 | 絵いろいろ | Comments(0)
2008年 08月 06日

にせもの

友人が日本画を買うことになって、終には買ってきてくれ、と依頼された。

半年ほど後で、決めて電話をして価格を言うと、ねぎらう前に「おい、にせもんちがうやろうな」というので、可笑しくて笑ってしまった。

道具を蒐集している別の友人のところでも、拝見した人から「にせもん違うでしょうね」と言われたことがあって、さあ、どうだろう、偽物じゃなければよいのだけど、と答えたと言っていた。


京都の五条坂に8人ほどの現在の中堅作家たちが若いころ修行していた折に、たむろする喫茶店があった。
喫茶店は彼らの作品をおいて何かと便宜を図っておられたが、喫茶店の隣にギャラリーを出した。

店内には彼らの代表作が並んでいるが、時々気に入らないけれど、放棄するには惜しいものを「B格」ということで持ち込んできて、それも格安で店の外に並べておいていた。

あるとき、中年夫婦がそれらを品定めしている声が店の中に聞こえてくる。


「こら、にせもんやで」


店主は、「持ち込んだ本人の作品が偽物といわれるなんて。どんな基準で、もの考えてはんのやろ」と噴飯したそうだ。

私は、若手作家でもベテランでも偽物の方が本物を上回ってくれたらそれがよい。
毎日使う雑器に偽も真もないでしょう、と笑った。



翻って、偽物を持つのは難しい。偽物を作りだす技術でオリジナルを作ったほうが、安上がりだからだ。

偽紙幣、偽ゴッホ、偽ゴーギャン、偽李朝。


話は頭に戻るが、友人の日本画には、作家本人から、私が丹精込めた作品です、末長くお手元にお留め頂きたい、旨の手紙を作品に添えてもらった。
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by coppoumon | 2008-08-06 10:53 | 絵いろいろ | Comments(0)
2008年 06月 18日

職人の技

話はまた掛け軸。

菱田春草の絵は、自筆の箱書きがしてある。
残念なことに春草は大正元年に38歳で亡くなっており、大正期に活躍したわけではないが、その後の画家たちの画風につなげる何かを感じることが出来る。

箱の表に書かれた彼の筆跡。これ以上傷みがこないように、京都で外箱をお願いした。
もう一つ、痛んだ箱の修理もお願いしたら、今日出来て、受け取りに行った。

私は桐より、樅が好きである。外箱は樅を、と、お願いしたら、立派なものが出来上がってきた。

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左側が、その箱。中はオリジナルの桐箱が入っている。

右側は、修理してもらった、別の箱である。
これは中も桐箱の修理をして、天板以外新しくなった。


写真はいずれ入れ換えます。
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by coppoumon | 2008-06-18 23:19 | 絵いろいろ | Comments(2)
2008年 06月 13日

まだまだ日本画

天気が良い日があると軸を出して吊るしておく。
今回は荒木十畝(じっぽ)。
荒木十畝は本名を朝長悌二郎。大村の出身で、お父さんが学校の先生だった。
東京で荒木久畝に弟子入りをして、娘婿に望まれたが、久畝もまた娘婿である。

これは昭和の初期に書かれた「芦と小禽」

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なんと、描かれた紙は、透かしが入っており、十畝紙と、読める。



もう一つは、晩年の作。彼がなくなったのは昭和19年の9月、敗戦直後である。
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こちらは紙に透かしはない。

「木蓮と小禽」

裾に、海棠桜が配されて僅かな緊張と美しさを更に高めている。

飽きることなくいつまででも眺めて、いられる十畝の作品を好きだ。

余談だが、養父の久畝の作品も良い。
その父というと江戸時代の終わりの人だが、その作品も一点だけ見たことがある。
作風がそれぞれに違っていて、やはり十畝には昭和モダンの垢抜けしたものを感じる。

そうして、私は昭和モダンを大好きである。
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by coppoumon | 2008-06-13 22:51 | 絵いろいろ | Comments(0)