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2006年 01月 31日

なんで、こんな看板が(その三)

30年も前の話なら時効だろうか。生きていたら、ごめんよ。
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この立て札を見ると、野菊の墓を思い出す。それはこの立て札の向うのお宅が伊藤さんだからかもしれない。

CRABの墓? お墓作るほどたくさんいたのかなあ。

30年ほど前、ある電気鉄道株式会社に勤めていた、そうして、今も働いているかもしれないオトコマエのkenちゃんという男が情けない顔で尋ねてきた。
電気鉄道株式会社では勤務の関係で宿直があり、そのときにすごいものを貰ってしまい、困り果てて、来てしまったと言う。

いつもは姫君と別れられない、別れたくないという定番の話なのに、そのときは様子が違った。

おやおや、親指の爪どうしで圧迫してご覧。プチっと言うのはそれは卵だよ。なんだか子持ち昆布みたいだね。いま、友人に聞いたら医者に行って全部そられるってさ。それだけは嫌ってか。

今ね、小学一年生の虫オタクの子どもに聞いたら、卵は呼吸してるから、殺虫剤を撒かれると死んでしまうんだって。これから犬の蚤取り粉を買ってきてやるよ・・・。

ざっと、こういう話なのだ。

しかし何故こんなところにこういう立て札があるのだろう。
え? お店の青空駐車場だったのか。

でも、Crab って Crab louse のことでしょう。 お店の名前にしちゃったの? ・・・・・・・・毛じらみ。


レンズはキノプティク100mm f2,0
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by coppoumon | 2006-01-31 23:22 | ああ、びっくり | Comments(4)
2006年 01月 30日

ホテル・さざんか

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ご近所に、野草の愛好家がおられて、お宅に花が絶えたことがなく、楽しませてくれる。
ご夫妻どちらかにお会いすると、野草のいろんなことを教えてくださるので、咲く花を時々写真に撮っては差し上げる。
撮影の拙さは頓着されず、あ、うちの花ですね、と相好を崩されるのだ。
数日前、金魚葉侘助の花が咲いていないかと探したが、まだ早いようで、開いたばかりの山茶花を撮った。
垣根は絶えず風が吹いている場所で、なかなか花が静止してくれない。

「山茶花・さざんか」

なぜか、私は旧文部省が中学一年生用の教材に指定した二部合唱の曲ではなくて、大川栄策の「さざんかの宿」を思い出してしまうのだ。

私は演歌を好きではない。すごく貧乏臭い歌だなあと、絶えず思う。
それゆえ、時に思いつきもしない結果に思考が行ってしまい抱腹しそうになる。

例えば「みちのくひとり旅」

この曲は、かのテニス界のプリンス・シューゾー様が、こんな好きな唄はほかにない、と申された歌だ。
たとえ冷たく別れても、俺には、おまえが最後の女~~と北島門下のお兄ちゃんが歌う。

メロディーもしつこい。

たとえ、どんなに冷たくわかれても、たとえ、どんなに恨んでいても、たとえ、どんなに灯りがほしくても、たとえ、どんなに流れていても・・・・・・・俺には最後の女。

歌詞もこんなにしつこい。

これは、ここまでしつこいのなら「俺には、おまえが最初の女~~~~~」のほうが受けるんじゃないか。

酒を呑まない飲み仲間のかおるちゃんが言う。いいのよ、そんなに真面目に考えなくって。演歌なんて、こう、あらまほし、といってるだけなんだから。
ストレートな願望であって現実味はないのよお、驚くこたないわよ、センセ。



話を元に戻して大川栄策氏、彼のご尊顔の中央のあぐらをかいたような丸いものから山茶花の実を連想するのだろうか。

そうではない。

いや、そうかもしれない。

大川栄策の歌った「さざんかの宿」を英訳して歌ったアナウンサー梶原茂の歌が、大川栄策に負けぬほどハートがあって見事な情感を歌い上げていた。

SAZANKA HOTEL という題だった。



カメラはアルパ10d、 レンズはキノプティック100mm f2,0
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by coppoumon | 2006-01-30 22:05 | Comments(4)
2006年 01月 29日

豪華

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趣味、おまんの食べ歩き。どこかのプロフィールに書いた。
おまんとは、市場の中の饅頭屋で売られているような一つ80円から100円ほどの、普段におやつに食べるような饅頭のことである。
和菓子は、茶道で遣う主菓子で、どのように区別するのかといえば、店先に、餅、赤飯を置いているのがおまんやであり、和菓子屋は餅をつかないのだそうだ。

関東の方におまんの食べ歩きというと、驚いた顔をされた。なんでやねん。あんな美味しいもん。

年末に福岡から好物の和菓子が送られてきた。御名は「鶴の巣籠もり」 お祝い事に特別に作られるので、店頭には並ばない。
時々、余分に作ったものが店先に出ていることがあれば、幸いというべき。
紅白のマシュマロの中に、白の漉し餡が多めに入っている。それを鶏卵素麺で巻いて囲んで鶴の巣に見立ててあり、こんな豪華なお菓子はちょっと他所で見る事が出来ない。

ポルトガル伝来という鶏卵素麺は、博多と、大阪の鶴屋八幡にあり、この二ヶ所だけでしか作られていないと、鶴屋八幡に勤務する友人は、以前、自慢をしていた。
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正月の間中、微熱を出していた私は、温めた牛乳を飲むときのお供に、この鶴の巣籠もりを頂いた。

もう一回、美味しいお茶で、食べたい・・・。

あ、k子姉ちゃん、すぐには送ってくれなくていいです。 また哀れと思し召したら送って。

おやおや、ブログが私信になっちゃったよ。


レンズはマクロスイター50mm f1,9
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by coppoumon | 2006-01-29 21:36 | 和菓子 | Comments(4)
2006年 01月 28日

あたろうか、あたろうよ

研修に「たきび」を取り上げる。

ピアノの不得手な先生方には大変弾きにくい曲で、必ず冬の時期に歌われるので、頑張ってマスターしたい曲だからである。

歌の中でしか見られなくなった焚き火であるが、この歌のモデルになったお宅をモノクロの写真で、昔、見た事があったなあと思っていたら、なんと幸いに現存していて、ZANSHYOU氏が昨年暮れに写真を撮りに行ってくださり、垣根の曲がり角の写真を頂戴した。このお屋敷の方とは同級生でいらっしゃるそうだ。

この歌が生まれたのは、実は戦時中なのである。国が戦争色一辺倒になって、子供達のうたう歌に心を痛めた作詞家と作曲家が、子どものために書いた精一杯の音楽の一つが「たきび」だった。
しかし、時局はますます悪くなる。

ぼうや なかずに ねんねしな とうさん 強い兵隊さん ~「軍国子守唄」
めざす陣地へ ついたなら ほし草あげよう 水飲まそう ~子供向け軍歌「お馬と兵隊さん」
軍馬になって 行く日には オーラ 皆でバンザイ してやるぞ ~「めんこい仔馬」
大きい杉は何になる 兵隊さんを運ぶ船 傷痍の兵士の寝るおうち ~「お山の杉の子」
お国のために 尽くされた 兵隊さんの おかげです ~「兵隊さんよありがとう」

音楽には必ず歴史的な背景が付属していて、その事の理解無しに音楽は成立しない事を言い続けたい。
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写真は http://www.geocities.jp/ykzanshyou/ より頂きました。ありがとうございます。
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by coppoumon | 2006-01-28 22:09 | Comments(2)
2006年 01月 26日

のんびり以降

ブログが100篇になりました。
前に書き続けた日記は一年間で100篇でした。ここに引っ越してきても同じペースで書けるかなあ、と危ぶんでいましたが、文章に写真を添えると、かなり文章が楽を出来、写真に文章を添えるとなれば、もっと考える事もなく半年で100篇もの日記を書いたことになります。

時々文章をチェックして書き換えたり、写真を入れ替えたりしながら、写真を上手になるためには撮りまくらなきゃ、といつも思います。
自宅は、浴室暗室化計画から何年も経過し口先だけでなかなか進展しそうもないところに、今度は夜のダイニングルーム全体を暗室化する「こいけメモリアルダークルーム」を考えています。
何故、こいけなのかはまた、ブログに書くでしょう。

たくさんの方々が来てくださって有難うございます。書き込んでくださったらさらに嬉しいです。

カテゴリー別に読みやすくしましたが、京都を読んでも京都案内になりません。大阪も然り。
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私が住んでいた家の、江戸末期の絵図です。
中央の門と大きな屋根の建物は朝鮮通信史をもてなすための客館。門を出た右端の一角が私が育った場所です。
町割りに記憶はありますが、もはやこういう景色ではありませんでした。
客館は取り壊され広場になり、家の前の200坪ほどの空き地には映画館が建っていました。
住んでいた家も、庭だけはまだ残っていました。

こんなところから都会に出てきて、ほんなごつ、驚く事ばかり。

ばってん、この先も、そげな驚きの連続を、ブログに書き続けるだろうと思います。

で、ヒロシです・・と書きたかとばってん、ちょっとだけ違うとです。
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by coppoumon | 2006-01-26 23:41 | Comments(2)
2006年 01月 26日

てのひら 和館窯・唐人笛形茶碗・4年後の追記

仏壇の前で手を合わせて、一心にお経を上げる神々しいばかりの男の顔。ところが座布団を降りてこちらを見た男の底意地の悪そうな顔に、その場を去りたくなった。

あの、気の強い先生でしょう。ところが、棗や茶杓を持たれてお茶をなさる時だけは、まあどうしてあんなお顔が出来るのかと思うくらい、別人のような立派なお顔になられるの。いつでも、そげん顔ばしとったら、どげんよかろうかとおもうばってんね、そうはいかんごつあるよ。

これ、二つとも実話である。素人でもこんなに劇的に表情を変えれるものかと思うが、私は一度だけ、そういった現場にでくわした。

その相手は骨董屋である。府下のThank you department store というところにもテナントで入っておられ対馬の焼き物のスペシャリストらしいが、私は無知で全くそのような方を存じ上げない。

経緯は略してしまうが、家にあった李朝のお茶碗を、舐めるように、嬉しそうに見て、「確かに和館窯です」と言い、私と目が合った瞬間、険しい顔をして「何の価値もない」と言い捨てて、イスを蹴るように立ち去った骨董屋の男がいたのだ。

和館窯とは対馬の殿様が釜山にあった、いわば出島のようなところで、韓人を雇ってお茶道具を焼いた窯のことである。対馬の藩士たちも延べ80人ほどかかわって作業をしたことが記録に残っている。
その子孫達も私のおさな友達だった。

茶碗の一つと香合を対馬の資料館に差し上げる事になって、陶芸家の友人に見せた時の出来事であった。

今は資料館に入って、誰も触る事が出来なくなってしまった。
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写真は私のカメラを修理に出した頃のもので、友人が彼のカメラで撮ってくれたものが残っているだけである。
後ろの黒いバックは私のワイシャツ。 2006年1月25日22時57分記。



以下、追記




その後厳原町は合併が進み島全体が対馬市になった。

同じ頃、寄贈したこの茶碗が収められた建物はアスベスト被害で立ち入りが禁止となった。

私のこの茶碗については厳原の有識者が集まって評価をする・・ということであったが、有識者とは、どういう顔ぶれだったか・・あえて言わない。

評価があったのだろうか・・その先の話は何にも知らないのだが、沙汰もない。
何のための、誰のための評価だったのか。

寄託でよかったのではないか・・最近はそうも思い始めた。


これは、「唐人笛茶碗」。

唐人笛というのは、チャルメラのことで、朝鮮通信士の楽隊が手に持った楽器であり、その、ラッパの部分の意匠を茶碗に取り入れたもの。

朝鮮通信士がもたらした、さまざまな文化の副産物がここにある。
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by coppoumon | 2006-01-26 22:57 | 郷里 | Comments(4)
2006年 01月 24日

耳をすますと


なかなか田舎に帰れないけれど、帰省しても家はもうない。
行って、逢う楽しみは友人達、子どものころからのお付き合いを頂いている方々。
教会とお寺。これは両方あるのがミソ。
私と同じ苗字のおうちがほかに二軒あった。私を見て、いよいよ区別がつかなくなると、どこのお寺の?と菩提寺をお尋ねになり、納得される。

宗門御改帳時代の名残がこんなところに未だ消えずにあるのだろうか。
人口が増加する事のない郷里ではお年寄りには一番手っ取り早い照合なのだろうか。

三月の初めに郷里に帰ると、教会に荷物を置いてお寺に行った。
今は友人の実家がホテルをなさっておられ、お寺に近いので教会に寄る事もない。
お寺に行って一日鶯が鳴いているのを、飽きるまで聴くのだ。

あと、40日ほどで鶯が鳴くだろう、とこれから寒さがくる事も忘れて、春を待ち遠しい。



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レンズはマクロスイター50mm f1,9
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by coppoumon | 2006-01-24 23:57 | 郷里 | Comments(0)
2006年 01月 22日

モザイク

穏やかな冬の日を好きである。
冬は、寒さを凌ぎたい、風邪を引かない、部屋を温めよう、美味しい物を食べよう、そうしてこの時期をそれなりに楽しく過ごそう、とひたすら前向きである。

風さえなければ淀屋橋から西天満を通り梅田まで、夜は、北新地を市役所の前に通り抜ける。
梅田へ歩いていたある日、老松町で、洋風曖昧宿から一組のカップルが私の前に出てきて、私の行く道と同じ方向に歩いた。
土地カンでもあるのかなあ、上手に車の来ない道を選んで梅新の歩道橋の手前に出て、階段を上がり始めた。
やれやれ、この二人も梅田まで歩くのだろうか。

そんな事を考えながら梅新の歩道橋に上がって、私はカメラをかまえ、ファインダーを覗いているうちにカップルは視界から消えた。と思ったらファインダーの中で新御堂筋の東側を歩いている。どこへ行くというのだろう、泉の広場にでも行くのかなあ、しかし見事に人気のないところを選ぶなあ、逃避行ってやつだね、などと、こちらは一人、無責任なイメージを遊んでいる。
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昔キャバレー、ゴールデン曽根崎があった場所の横を、丁度、彼らが通りきろうとしたところに陽だまりの良いシャッターチャンスがあった。

新御堂筋建設のために、このあたりの歓楽街は寸断され、一部は移転、廃業をしたらしい。
しかし、関西テレヴィに行くまでの間に、キャバレー、アルサロが、軒を連ねて、たくさんの飲み屋があるのを、私は二十歳であったが、浮かれて練り歩く楽しさがあった。

高校生の時、芸術新潮に「キャバレー火星」の正面サファードが掲載され、墓地を整地した故にビルの壁一面、モザイクタイルで般若心経の文字が書かれていたのを覚えていて、これもその界隈に15年前まで存在していた。

新御堂を東に渡ればもう、なんでもありだった。
お寺、墓地、ホテルバッキンガム、法華クラブ、中華料理屋、キャバレー、アルサロ、ダンスホール、メンバーズクラブ、サントリー・バー、仏壇屋、ガラス屋、材木屋。
そんなお店ばかりか路地を一歩入っていくと普通に人々が暮らしていた。
市場の二階がアパートだったり、ダンス教室があったり洋裁店や個人商店・・。
ずっと堺筋の方まで歩いて堺筋に出る手前の角に20代初めの頃からの友人が「檸檬樹」という洋食店を長い間やっていて、夜はライヴが聴けたりもしていたが、先年それも閉じ、友人は通勤しなくて良いところに洋食店を開いた。

お寺以外にバッキンガムと、仏壇屋は未だに健在である。

ゴールデン曽根崎の跡地の一部はマンションになっていて、当時の面影は全くない。




カメラはアルパ10d レンズはマクロスイター50mm f1,9
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by coppoumon | 2006-01-22 20:19 | 大阪 | Comments(4)
2006年 01月 21日

返戻

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昨日からの天気予報では雪。しかも積雪かもしれないと言うので雪景色を期待して起きてみたらいつもどおりで、薄日も差している。
今朝ピアノの部屋に入ると室温8度。
これを18度まで、2時間かけてゆっくりと上げていく。冬はピアノの音が半音近く上がって、それが気になるときは練習が捗らない。

さて、リストのハンガリアン・ファンタジーの楽譜を探すが見つからないのだ。
ここの家に引っ越してきてから弾いたっけ・・弾いた・・と自問しながらシャーマーの楽譜を目印に引き出していくがあるべきところにない。20年以上弾いていないんだ・・しかし、出てこない。
出てこないときはどれほど探しても無駄である。

もとより、出したものを元の場所に戻すというのは苦手なようで、本だけではなく、冷蔵庫の中、引き出しの中、預金通帳の中、きちんと戻した事はない。

楽譜だけは、正確に場所を覚えておいたのだが、10月に模様替えをした時に、アルファベット順になっていたはずを、手違いで、どこかに紛れ込んだに違いない。

ベートーベンの4番コンチェルトを弾いてみて、今年一年弾きこもうかなあ、と思ったりシューマンのコンチェルトにしようかなあと考えながらも、リストのファンタジーの楽譜が気になっている。

不始末はわが身に還る。少し反省。


カメラはアルパ10d レンズはマクロスイター50mm f1,9
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by coppoumon | 2006-01-21 12:45 | 眺めのよいアパルトマン | Comments(0)
2006年 01月 18日

初詣

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年が改まる時、本当なら大晦日の深夜ミサにでも与るべきなのだろうが、修道院でも近くにない限り難しい話。

例年なら、31日午前中に錦市場でおすしを買い、知恩院に行き、信徒休憩所でお茶を貰っておすしを食べて、知恩院の本堂でぼんやりと、一年間教会で起こった様々なヒューマンズ・リレイションの嫌だった部分を、噛み締めてみる。お寺の本堂は清らかな気に満ちていて、心にゆとりが出るのだ。

美味しい物を食べた後は、ひどく妥協的になって、これも神様のお導きと思い込み、そのまま清水寺へ行き、そこで来年のおみくじを引く。吉だと持ち帰り、それ以外だとくくりつけて、責任を神様になすり付けておく。
神様にもその時々の人間の出来不出来で毎年吉凶があるのだろうか。いや、あの方はいつまでも末吉なような気がする。

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この正月はどこにも出なかったので、せめて写真くらいないものかと探していたら、宇治上神社の写真が出てきた。
理論家の友人が、モノクロの撮り方を教えてあげると言うので、ご指導を仰ぎに、出ていった時のものだ。
一緒に撮り歩き、後日友人のものも見せてもらったが、彼のそれは、私より今ひとつで申し訳なく思ってしまった。それからは教えてくれないが、彼のライカの裏蓋の複雑さに興味を覚えてしまった。

折りも折り、そのときSさんという大フィルを退職なさったばかりのヴァイオリニストが通圓の横を音楽仲間の方と連れ立って歩いて来られて、何か合わせ(合奏)ましょう、というご挨拶を頂いた。

お茶の葉を買いに出かけた宇治川のほとりで、ソプラノサックスが聞こえてくる事もあった。
最近管の上手い人が多くて、つい聞きほれてしまい、そのときもカメラそっちのけで、彼のラヴェルを聴いていた。
もうね、こういうときは神様からのプレゼント。耳も正月をしなければ。


カメラはアルパ10d レンズはマクロスイター50mm f1,9
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by coppoumon | 2006-01-18 23:39 | 京都 | Comments(6)