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2006年 12月 31日

大晦日


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どうやら、平熱に戻って来たらしい夜、久々にテレヴィを点けた。
映りの悪い日本放送協会。音声だけはしっかりと聞き取れ、11月になくなられた内山田洋さんのメモリアルだったのか、クールファイブが「長崎は今日も雨だった」をうたった。

三十七、八年も前の歌なのだ。
内山田さんに見出された前川清が独立して行った経緯は、同郷の関係者から聞いていたが、ここでそろってステージに立つなどとは思いもよらなかったことだった。
そして彼らが歌い始めて、もっと思いもよらぬことが、私の耳の中で起こった。

何調か、分からないのだ。

楽譜はハ長調のはずで、タモリが「長嶋は今日も、だめだった」をうたったのもハ長調だったし、
シーゲル梶山が”In NAGASAKI today again I met rainday”をうたったのもハ長調だった。

どうも半音下げているようだ。ロ長調ではなく、それはフラットを7つ付けた変ハ長調なのだ。
音楽はフラットがつくと、過去の響きがする。7つもつくと、実際、三十八年も前に大ヒットしたその時代から立ち返ってきたようで、もしくは、内山田さんのいるところから太いパイプが繋がったようで、思わず、衿を正してしまった。

前川清も60歳近くなって、音域が移動し始めているのだろう、と考え込んでいたら、やがて森進一の出番になった。

あのコントラルトのような暗い悲しい声で、「おふくろさん」を歌う。

それも暗さにぴったりのロ短調だ。以前はハ短調だったよなあ・・と歌謡曲特有の品のない響きを思い出していたが、やはりロ短調の中に、ぴったりと嵌めて歌っている。

彼も60歳くらいだったっけ。私は40年ほど前の彼の歌を覚えているが、この人上手くなったなあ、と今日のステージを聴いた。

C音を半音下げたことで、出合った、2件もの思わぬ大晦日の出来事だった。
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by coppoumon | 2006-12-31 22:28 | Comments(2)
2006年 12月 29日

かすまき

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連日練習に通いつめてホッとしたのか、疲れ気味である。
郷里に、暮れのご挨拶をしたら、例年どうりイリコを一年分と、「かすまき」を送ってくださった。

前に、インフルエンザになったときも、丁度かすまきを送っていただいて、毎朝バナナと牛乳とかすまきが朝食だった。
カステーラよりも上等の生地を焼いて、漉し餡をたっぷり包んである。それだけのシンプルなお菓子である。

かすまきを作る郷里の店はたくさんあるが、長崎にもある、と、ご近所の長崎生まれの方が仰る。
対馬が出所ですよ、と以下の説明をした。

殿様が、初めて参勤交代に行かれて、無事に帰ってこられたことを祝って、作られたお菓子というから、350年以上歴史があるのだけれど、作っておられる当主は恬淡としておられる。
○×老舗などとは言わない。

店は、古くからの二階建てのおうちであった。

幕末に、殿様にお金を貸して、利息が払えないから、二階建てを許されたというのだ。
二階に上がると、階段を上がったところの部屋が、床を一つ、低くしてある。
殿様へのご遠慮なのだそうだ。

今でも、その座敷は、勿体ない、と使わないという。

かすまきの味も記憶にある限り変わらない。
この間帰省したら瓦が葺き替えてあった。
100年以上そのままだったから・・・と店の方が応えた。
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by coppoumon | 2006-12-29 19:56 | Comments(2)
2006年 12月 27日

年の瀬

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部屋がひどく散らかったままにしていたのを、片付け始めて、途中、気分転換に郵便局へ行った。
新しく越してこられた階下の方が、私、30年ほど前まで、ピアノを弾いておりまして、3年ほど前からポピュラー・ピアノを習っておりましたの、と話しかけてこられた。
越してこられる前に、同じ間取りのわが家をお見せしたから、心安いところもあって、ぜひまた、お越し下さいと申し上げた。

郵便局の帰り道は違うコースで僅かに遠回りをし、知人宅の犬のけんちゃんに挨拶をして、けんちゃんが手を舐めてくれて、ついでに飼い主に挨拶してから公園に入った。

例年だと、梅が咲き始めるのだが、この冬はやっと紅梅が一、二輪ほころび始めたところで蕾が固い。
晴れの1日、という予報に反して、何か降って来そうな気配だ。
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by coppoumon | 2006-12-27 18:00 | Comments(0)
2006年 12月 24日

イブだけど、降誕のミサ

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教会歴というのがあって、福音書の内容から、4週間のアドヴェントの曲を割り当てる。
今年は、第一週が「来たれ、異邦人の救い主よ」、第二週が「目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ」、第三週が、「羊は草を食み」、第四週は「マニュフィカート」を当てることが出来た。
この時期は、たくさんの作曲家が曲を残しているので、奏者は楽しみが極まる。
その次週に、ご降誕なのだが、今日は第4番目の週を省いてご降誕日のおミサに変更された。

9時半から合唱隊が練習を始めるので、6時に起き、7時半にタクシーで駅へ出て、電車に3駅乗って、そこから教会までタクシーに乗った。道路はがらがらで、一本道を一度右に曲がり、教会についたのが8時だった。
全部通して弾くと60分の分量だ。

一度だけ、という約束で聖歌隊と一曲あわせて、本番。

パッヘルベルの「いと高きところより我は来たれり」オルガンのストップを全部出して一気にひくのだ。
たくさんの空気がパイプに流れるために、キーは大変に重い。
ことに、後半28小節は16分音符が休みなく二声で走る。

オルガンベンチに座って、弾き始めると、さっと、自分だけの世界に入って行き、あっと、思うことにであった。

私が、関わりを持った音楽人が次々に現れ始めたのだ。郷里で私を教えたピアノの先生、大学での恩師、ジャズを教えてくれたクリスチャンの先生、音大の友人達、オルガンの友人達、シャピュイ先生、「大変失礼ですが、このようなところで(対馬のこと)、音大のピアノ科に進めるほど、準備が出来たのですか」と尋ねた私より15ほど若い、ピアノ弾きの男の顔もあった。
これまでに音楽を学ぶ上で注がれた先生方の力量、善意、厚意、悪意、妬み・・・一切を糧にして、自分の出すオルガンの音は、弾きながら冷静に聞いてはいるのだけれど、今鳴っているこの音楽は、これらのたくさんの人たちの支えで、響いているのだ。

次に、クリスマスのミサのオルガン当番がいつ回ってくるかは分からない。そのとき、また同じ曲を弾くかどうかも分からない。
そう思うと、パッヘルベルのこの作品を、そして、弾いている今の時間を、大変いとおしいと思った。

たくさんのオルガン仲間がほぼ同じ時間に、自分の一番良いものを神様にお捧げしているのだ、という連帯感のなかで成しえた、今回のクリスマスの貴重な体験だった。
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by coppoumon | 2006-12-24 21:53 | Comments(2)
2006年 12月 23日

イブのまえに

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明日はクリスマスイブ。
しかも日曜日。
さらに、教会でオルガン当番に当たっている。
先ずパッヘルベルの「いと高きところより我は来たれり」を初めに弾く。
ミサは進み、聖体拝領ではパッヘルベルの「マニュフィカート第6旋法のフーガ」を弾く。
1分半くらいの曲が10曲続くがそこから8曲準備して、礼拝後はバッハの「主よ、人の望みの喜びよ」で終わる。

今日は父の命日だった。喪に服すまもなく、教会に出かけ、オルガンをさらい、寒くなる前に帰宅した。

明日も早朝から出かける。

夕食を終えて、わが家のマリア様に乳香を焚いた。クリスマスの飾りつけも何もない、ただ、お香だけ。

静かなクリスマスだ。
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by coppoumon | 2006-12-23 21:02 | 眺めのよいアパルトマン | Comments(2)
2006年 12月 22日

シャルル・アズナブール2

社会のなかの、いろんな少数派のために作詞、作曲、創唱を続けてきた彼が、作った歌の中で、日本で公に歌われるのは難しいだろうなあ、と、なかにし礼氏の訳詩を見ておもったのが、
先日の朝日新聞にあった「人々の言うように」である。


日本でも、いつも、いろんな歌が放送禁止になったり、解かれたりしている。
つぼイのりヲの「金太の大冒険」、野坂昭如の「終末のタンゴ」、美川憲一の「お金をちょうだい」・・・今になって、当時の資料を見るとその理由付けのばかばかしさ、面白さに抱腹する。
ぜひ、判断した方々の御芳名を明かしてほしい。

「人々の言うように」は1972年にフランスで大ヒットした。
日本では、放送禁止ではなかったのかもしれないが、こういう歌を、どこで、だれがどうやってうたうのだろう、とわたしは考え込んでしまった。

その後、私は、なんと、戸川昌子が歌ったのを聞いた。70年代の終わりのことだった。

私は母と 古いアパートに住んでいる カナリヤと亀と一匹のネコが 友達さ
母を休ませて 買い物に出かけ 料理もする 洗濯もするし 時には自分で ミシンも踏む
仕事はたいした仕事じゃないけど 芸術さ 夕暮になると女に身をかえ 店に出る
ストリップをやって全部脱いじゃうと人の目が 驚いたように 私を見つめる  
わたしは そう、おかまなの

夜明けの四時ごろ 食事に行くのよ仲間達と スナックにはいりおしゃべりするのさ気兼ねなく
はなもちならない 奴等をやっつけ 笑い飛ばす 毒のある洒落と「おんな」の言葉とユーモアで
人の目を引くように歩いて見せるの「しな」を作り 次代遅れだよ 眉をひそめてる人がいる
冷やかしの声や あざ笑いなどは気にしない 本当なんだもの ごらんのとおりの 
わたしは そう、 おかまなの

朝日が登ると 孤独な運命がやってくる かつらを外して まつげを取るのさ 疲れ果てて
眠れないままに 心に芽生えた恋を想う 神様のように美しい顔の少年を
だけどあの人に 私の思いを告げないわ きっとあの人は今頃女の胸の中
責任を取るのは私なのだから 誰一人 私を責めたり 裁けはしない
わたしは そう、おかまなの

訳詩・なかにし礼。ただし、わたしの記憶で少し違うところがあるかも知れないので、彼の詩集「漂泊の歌・le chansons de boheme」 昭和44年 1969年 を参照した。

今は楽譜も出回っている。

アズナブールの持ち歌をうたった戸川昌子は高槻の人なのだそうで、関西のステージには親族、ご近所がたくさん来られていた。
関西弁がナチュラルすぎて初めは、わが耳を疑ったけれど、そういうことだったのだ。





















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by coppoumon | 2006-12-22 11:51 | 聴いた | Comments(2)
2006年 12月 20日

シャルル・アズナブール

新聞で最後の来日か、と言われているアズナブールの公演の広告を数回見た。

前後して朝日新聞には彼の記事が出て、持ち歌の中の「ラ・ボエーム」と「人々の言うように」が主に取り上げられた。

「ラ・ボエーム」は好きな歌である。

昭和40年代の初めには、なかにし礼氏によって訳されて、誰もが歌っていたが、特に中村八大が編曲して美輪明宏が歌ったラ・ボエームを好きだった。
彼も、40年近くこの曲を歌い続けている。

君の胸や、腰の線を描いては消して、夜を明かし、朝になるとコーヒーなどを飲んで語り
夢を見たね愛の眠りに。
愛し合えば感じないさ冬の寒さ・・ラ・ボエーム ラ・ボエーム きれいだった君よ
ラボエーム ラ・ボエーム、儚くうるわしい・・・

ある日のこと、君と僕の愛の街角、訪ねてみた。リラも枯れてアパルトマンの影さえなく歩きなれた道も消えてた。
若き日々の靴の音は聞こえなかった・・ラ・ボエーム、ラ・ボエーム帰らぬ夢よ
ラ・ボエーム ラ・ボエーム 一抹の夢よ・・・

若者でなければ味わえない実感と、年を経てからでないと分からない若さへの思いを同時に歌い上げた名曲。

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by coppoumon | 2006-12-20 22:16 | 聴いた | Comments(8)
2006年 12月 19日

奈良で 2

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今年、縁があったものの一つは、搭だっただろうか。
島根の清水寺の三重の搭、京都の八坂の搭、吉村醇三郎画伯の古都の絵は画商に猿沢の池といわれたが、猿沢の池に行って興福寺の5重の搭を眺めてみると、何かそうではなさそうだ。
西ノ京の唐招提寺の西搭のようにおもう。

子息の吉村卓司画伯の法起寺の絵も一緒に見せてもらったことをおもいだして、親子で奈良の旅をなさったのかなあ、などと考えた。

興福寺の五重塔は大きすぎてなかなか良いアングルが決まらない。絶えずたくさんの観光客がいて、レンズを覗いてみても、今ひとつチャンスが来ないのだ。

友人がバイクを取りにむかう駐車場まで歩く途中で人が途切れた。
ならの紅葉が最高に美しい日だったが、街歩きで日が暮れて紅葉を捜し歩く時間はなかった。
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by coppoumon | 2006-12-19 09:18 | Comments(2)
2006年 12月 17日

奈良で

あなたとなら・・こんなキャッチフレーズで奈良の観光ポスターがここそこに張られていたが、あれはどうなったのだろう。
奈良では何を見ると良いのだろう、などと思いながら奈良町をどんどん歩く。
1400年近く前、奈良町一体は元興寺の寺域であったという。極楽坊もその一部だったといわれるが、今の元興寺は火をかぶって割れた五重塔の礎石群とささやかな本堂があるだけに過ぎない。
門前の町屋のほうが、群を抜いて立派である。
適当に手入れされ、適当に荒んだ感じのする境内はいつ訪れても変わりなくわびしい。
そんな門前には、犬の小便が似合うとでも言うのだろうか。
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小さいながらも立派な山門なのだが、如何せん、お向かいが立派過ぎるのだ。、と友人と眺めていたら、細身の年配の女性が玄関の鍵を開けて、建物の中に入って行った。
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by coppoumon | 2006-12-17 20:24 | Comments(0)
2006年 12月 16日

冬の初めの奈良

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久々に出かけた奈良のオルガン練習のあと、バイクで来合わせていた友人と奈良町を歩いた。
昭和30年ごろまでの景観に戻そうと努力をしている奈良町の、公開されている古民家の奥の庭で、紅葉した蔦に出合った。
蔦はお隣の家の大きな蔵に繁ったものだが、古民家の借景となっていて美しい。

ここを訪れたのは8年ほど前のことだ。
企画がないときは建物そのものを隅々まで拝見でき、何かしらの企画があるときはたくさんの人でにぎわっている。

奈良で、オルガンの練習をするのは2時間。そのあと4時間ほどしっかり散策して回るが、オルガンの練習が上手くいった充実感と、そこからの開放感と、京都にはない奈良の歩きやすさが、なかなか、家に帰る気にさせてくれない。
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by coppoumon | 2006-12-16 21:18 | Comments(0)