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2007年 05月 29日

なぜ

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alise’e pate’e と呼ばれる十字架の形とこの高台は同じ文様だ。

狂言袴と呼ばれる筒茶碗のなかで、一つだけ、花十字の文様が書かれたものがあった。

それが必ずしもキリシタンと結びつくものかどうかは別として、禁制の時代または、それ以前に作られたものとして興味深い。
禁制の時代、藩主がキリシタンだったために、人は秘して言わず、問わず、何事も知らなかった。

高台の削り方については、分からないことが多い、と対馬の友人は言う。


関西で、たくさんの對州焼を見たり、触ったりすることができたが、分類の仕様が無いほど様々なものが焼かれていて、武家の茶道らしく、一見地味なようで、時に、華奢な高台もあり、古文書の日記に、茶碗稽古(文章の前後からすると、轆轤細工の練習らしい)などと出てくると、すぐに、そういった高台のことを思い出してしまう。
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by coppoumon | 2007-05-29 11:55 | 郷里 | Comments(2)
2007年 05月 28日

隠された十字架

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李朝割高台茶碗

なんとお茶碗をひっくり返してみたら、7センチはあろう高台は十字架の形がくりぬかれて、中は丁寧に釉薬がかかっている。

1974年のクリスマスに京都近代美術館でキリシタン美術展があったとき、織田丹後守所蔵の
割高台茶碗が出品されていた。

茶碗の裏から見ると十字架の形だ、というのを面白半分に見ていたが、こうやって高台の中に十字が入っているのを見ると、やっと、納得がいった。

どこをどうやって、このお茶碗は生き抜いてきたのだろう。
それに、たいせつな高台が半分黒く汚れているのはなぜなんだろう。
黒いのは黒かびなのか、墨汁なのか。
黒くカモフラージュしておいて、汚いからと、使わせなかったのだろうか。

美しい御本が出て、小指の爪よりも小さな削ぎが無数に施された茶碗は對州焼きのエスプリが凝縮されている。
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by coppoumon | 2007-05-28 21:59 | 郷里 | Comments(2)
2007年 05月 24日

御本茶碗


御本茶碗が一つ、友人のところへ行くことになった。

 「呉器 御本 割高台」

対馬の御本茶碗は、どういう約束事があったのだろうか。
口径がみな同じ14センチである。
高さは微妙に違うが、このお茶碗の重さは250グラム。

もう二つはそれぞれ280グラム、285グラムで、同じ手に成るものかと、いささか恐縮してしまう。


この間、玄悦茶碗が出ていた。

子孫の舟橋さんが対馬を去ったのは昭和30年代。
住まわれていた家も建て替えられて横を通ってもそこだとは気づかなかった。

明治36年ごろからは、記録がなくなって、分からないことだらけの対馬。




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by coppoumon | 2007-05-24 23:43 | 郷里 | Comments(0)
2007年 05月 23日

わりぃ(悪い)

博多駅が改装されているようだ。
新幹線の改札を出て一階に降りて西側にたくさんの食料品店がある。
ここがすきなのは、博多の市場の匂いがあること。
長崎の美味しいものが少し置かれていること。
適当に客が少ないこと。

以前、塗りの枡のなかに、それぞれのメーカーのからし明太が並べられて味見をしながら品定めができた。

新幹線を降りてすぐに何がしかを発送してもらい、明太自慢のおしゃべりを拝聴させられる羽目になった。元気なエンドレスで良く喋るおばさんだ。
腹にダイナマイトを巻いて遠賀川を上り下りした女傑も、こうだったのかと思いたくなるような威勢の良さ。

翌日、新幹線に乗る直前、立ち寄って、自分の分を求め、「いやあ、きのう、あげん、しゃべりんしゃるけん、なんか、言葉の移ったごつあっと」といったら、店員のおばさんが、ぎょっとした表情で、「環境に左右されやすいのですか」と美しい標準語で返してきた。「いや、な~んも、そげんこつはなかちおもうとっちゃばってん」と報復すると、さらに驚嘆の表情をみせて「気持ちの悪かけん。もう、しゃべらんで下さい」といわれた。

やったぜ~~!!
あのおばさん、どうしているだろう。
そう思って、博多駅の中を探し回るが、最近は顔を思い出せなくなった。

エソのすぼまき、カステラかまぼこ、あごだしラーメン。私の好物のひとつ。

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by coppoumon | 2007-05-23 07:43 | 郷里 | Comments(0)
2007年 05月 22日

唄入り観音経

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対馬からのお土産が届く。

お土産、この言葉には、よわい。

これは、私が一番初めに覚えた日本語でもあるらしい。

ひと~つ、唄ってやるからに、泣かずにねんねするんだぜ。
坊やの母さんどこいった。あの山越えて里越えて・・・

デンデン太鼓に笙の笛、鳴るか鳴らぬか吹いてみな。
いい子だいい子だ、お宝だ。

断片的に覚えている、父が私に唄っていたこの歌の詞はなんだろう、と母に聞くと、
それは、唄入り観音経といって、私が生まれた頃の、父の十八番だ、というのだ。
父の歌は下手の横好きで、微妙に音程がずれていた。
唄入り観音経は浪曲。

デンデン太鼓や、笙の笛はお土産だったのだ。
生後、すぐにこういう歌を聞いて育ったのかと思うと、可笑しい。

たまに手土産を下げて帰宅する父を待った。
手土産・・・親しい人からいただくのは本当に嬉しい。
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by coppoumon | 2007-05-22 22:49 | 郷里 | Comments(0)
2007年 05月 19日

桟橋

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桟橋というのは浮いているものなのだそうだ。
しかし、名前だけが残った桟橋は、コンクリートだった。
船が入ってくるのは夕方だから、それまでは桟橋は遊び場で、
小鯵を釣る場所だった。

小さなフグやボラが泳ぎ回っていた桟橋。

ホーバークラフトに乗るまでの時間つぶしにのんびり話している旅行者たちの表情は、
すでに島の人たちと同じような人のよさが、滲んでいる。

子供の頃はここで、海上保安部のCP船を見たり、船で働く友人の父上に声を掛けられたりしながら、日が暮れるまで遊んだのだ。

町全体が子供の遊び場だった頃。
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by coppoumon | 2007-05-19 22:38 | 郷里 | Comments(0)
2007年 05月 19日

一期一会

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郷里の教会でソプラノさんと演奏会をした。
ピアノとリードオルガンを私が担当。

歌う曲目は予めソプラノさんがリクエストを募ってあり、大体1910年ごろの有名な歌ばかりだったので、同じ頃作曲されたピアノ曲をちりばめて、ストーリーを作った。

面白い流れのプログラムだった。好評だった。

幼馴染たち。さかなやのおばちゃん。初対面なのに、共通の知人だらけの人。
出会う人も一期一会。出した瞬間に消える音たちも一期一会。

翌日、日曜日の朝は見事に晴れて、イースターの朝のミサを思わせるような天気。

ここにイギリス風の教会堂が建っていたことを覚えている人は少なくなったが、旧礼拝堂の調度品は今も健在だ。
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by coppoumon | 2007-05-19 08:25 | 郷里 | Comments(2)
2007年 05月 17日

レンガ塀

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レンガには紅白があるものだと、子供心に信じていた。
白いレンガが対馬特有のものだと知ったのは最近のことだ。

白いレンガには耐水性があるといっていた親の説明はどこまでが本当だったのだろうか。

今でも家屋の袖壁に使われているのが良く残っているが、こうやって、家が解けて、出現した空き地に見るレンガの壁はそれぞれの土地の所有者のセンスで使い方を分けていたのかもしれない。

この島のどこにレンガ工場があったのだろう。
今頃になって、材料や製造方法が気になってきた。

大正、昭和の始めに町並みを形成した熊中棟梁の普請した家がまだたくさん現存していて、白い大きなレンガの壁を見せている。
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by coppoumon | 2007-05-17 14:04 | 郷里 | Comments(2)
2007年 05月 15日

鍛冶屋の小路

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幼稚園に行くか行かないかの頃、この道は遊び場だった。
母が親しくしていたこの鍛冶屋さんの突き当りを左右に曲がって意外な場所に出るのが面白かった。左に曲がれば浜の小路、右へ曲がると大町。

今回訪れると、鍛冶屋のお向かいが建物の半分を解いてしまい、スクエアが出現して、江戸時代に火切りと呼ばれていた防火塀がはっきりと分かる。
火が出ると浜風に煽られて、大惨事になることから背の高い石垣を作って類焼を防いだ。

小学一年生の夏休み。
右に曲がったところのお宅の塀に朝顔がたくさん植えてあった。何にも物音のしない路地で飽きもせず朝顔を眺めていた。
小学二年の夏には朝顔が植わっていないことをがっかりした。

さて、我が家も今年、またまた朝顔を植えて、朝顔日記を始めよう。
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by coppoumon | 2007-05-15 23:15 | 郷里 | Comments(2)
2007年 05月 15日

郷里で

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山奥の里で加瀬という姓の方が多いことに気づいた。明治になって姓を名乗れたというが、対馬の場合は、さっぱりわからない。

幕末まで5軒の郷士が居住して、この石版はそのうちの一人が寄進したもの。
満願成就のお礼が銘に彫られていた。
それも薄くなってきて判読がつかなくなる日が来ることを思う。
寄進したN家の前を通ると、空き家で古い建物だったはずが分筆されて新しい家が2軒出現していた。

さて、この像はきちんと三脚を立ててしっかり撮らないと、細かいところが難しい。
この男性像は足が外向けに描かれているのが西洋くさい。

衣がエンゼルの羽の形をして、足元に波を表す鱗模様が彫られ、右手の宝杖には十字架と舟が書かれて、周りから光が射している。
この石版を寄進した人はどのような願掛けをしたのだろう。

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こちらで勝手に、波の上を渡るパオラの聖フランシスコと名づけようか・・。

大石家を訪ねる。
宝暦四年7月召しだされる、という記録のある大石家。
家主には会えず、家は荒れはじめている。
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by coppoumon | 2007-05-15 07:57 | 郷里 | Comments(2)