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2007年 08月 31日

到来

昨日の夕方、「あのう・・」といってお向かいの方にあわび3枚、サザエを7個頂いた。
呼子の先の島のご出身なのだそうだ。

肥前なんですね。私は対州で、隣の藩なのです。
引っ越してこられたとき、こういうやり取りをしたことを覚えている。

磯の香りは対馬を思い出していしまう。

あわびは水から10分湯がいて、酒、醤油、みりんで調味液を作って殻つきのまま大きな瓶に漬け込んだ。
一週間くらいでおいしく食べられるかなあ。

サザエはいまのところ冷蔵庫に。

前に、あわびを母は生のまま、私はステーキにしてレモンをかけて食べた。
たわしで身をこすってやると、ギュッと縮むのを杓文字を入れて殻から外す。
母は「ごめんやで」と私の横であわびに謝っている。

「あわびにお詫びや・・」
肝は二杯酢で食べた。

あれから年を重ねた母はもう、生であわびを食べることが出来ないのだそうだ。
今度はあわびを摩り下ろして食べるようになるんだろうなあ。
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by coppoumon | 2007-08-31 07:38 | 郷里 | Comments(4)
2007年 08月 25日

こうたろう

広島大学が移転したことは話では聞いていたが、実際に行ってみて広くて大きいのには驚いた。広大だから、とオチはつけないが、キャンパスの中をバスが走っていく。

ムッシュ・トーマスが「対馬北部における新第三系対州層群の層序、堆積環境および日本海拡大に伴う変動」という題での学位論文を発表されたのを拝聴した帰途は、台風との鬼ごっこだった。

予定より早く新大阪に着き、高槻をまわって、あるイヴェントに顔を出し、お土産にいただいたものの中に焼き菓子があった。
遮都麗是のお菓子かなあ、と、3日ほどたって、どきどきしながら開けると、なんと、わたしの好きな清水さんの焼き菓子だった。

パティシエ清水さんは、こうたろう、というお名前だ。


友人の息子もこうたろう。

大学生のとき帰省したのを、別の友人が出し抜けに「まあ、こうたくん、大きくなって。おばちゃん、あんたのオムツかえてたんよ」といったので、こうたろうは、面食らったようだった。
「こうた、言うたれ、おばちゃん、こんどはボクがおばちゃんのオムツ替えてあげるよ」とわたしが援護射撃したものだから、こうたろうは絶句してしまった。

こうたろうには、その後、一度もあっていない。
こうたろうに会う時には清水こうたろうさんのケーキを買っていくつもりだが、さて、いつだろう。
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by coppoumon | 2007-08-25 09:59 | Comments(2)
2007年 08月 22日

メニュ

久々にメニュを書く。

ブリュチーズ、メルバトースト、自家製ピクルス。

かぼちゃと、人参のポタージュ

卵と、ほぐした蟹の身のポテトサラダ

はもきゅう、ゴマ豆腐・みそだれで

牛フィレ肉のバターソテー、和風ソース

雑穀ご飯、蜆の味噌汁、奈良漬、自家製ラッキョウ。

ちょっと多いかなあ。

はもきゅうは、淡路島産のはも。それほど大きくなくて扱いやすい。ハモときゅうりは
酢洗いしておいて、食べるときに甘酢をかける。
ゴマ豆腐は味噌たれにした。わさびの良いのが手に入らなかったからだ。
これは箸休めのつもりだから小ぶりの器に出す。

天草晩柑でママレードを作った。
このママレードを、こがしバターに加えて、ソースにしたらよい。
おいしだろうな、ポークチャップ。
牛は食べるな、ブタをたべなさい、と小学生の生徒さんに去年、しつこく言われて、守ってきていたんだった。

メインはポークチャップの方がよかったかなあ。
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by coppoumon | 2007-08-22 21:19 | メニュ | Comments(2)
2007年 08月 21日

佳人薄命

アサガオを今年も作った。
夏になる頃、気温が低すぎて蒔いた種が発芽してくれなくて、4度、日を変えて蒔いた。
その後は長梅雨で日照も悪く、アサガオには悪条件ばかりが揃ったようだ。

去年、採取した7種類のうち、今年、花を見ることが出来たのは5種類。
去年は18本から4670輪の花が開いた。今年は26本からいくつ数えられるだろうか。少ないのだ。

赤いアサガオに名づけをした。「もってけベティ」

名付けは関西育ちで現在仙台在住のM・エリザベスという某女史の名にちなんだ。
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華やかな大輪である。
開花前夜は大きくツボミを膨らませ、もう一息というところで、待機している。
翌朝9時をまわっても、そのまま眠り込んででもいるかのように、開く気が無いらしく、強引に私に引っ張られて、しわしわの顔をだす。

去年もそうだった。寝坊というサブネームはあったのだ。
夏の後半に入った。近頃何となく花がちいさいので、100円ショップでアサガオユンケルを購入して昨日プランターにさしこんでやった。

さて、ユンケルの効き目で、ベティの狂い咲きが楽しめるかどうか。
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by coppoumon | 2007-08-21 09:20 | Comments(2)
2007年 08月 19日

消えたバラ

清水道を横切って八坂の搭に出る道がある。難しいみやびな名前でもついているかもしれない小路にアパートがあり、全部で50人くらいは住んでいそうだった。
どうも、本館と別館という感じで、本館で得た収益が別館に行った様子。ノウハウもしっかり学んだようで、ここというところは、手堅く手抜きをしていた別館。別館の方が入り口は豪華だった。人工大理石とタイルの敷き詰められた玄関先。

前を通りがかると・・ない。別館が無いのだ。
第二ローズアパート。

親切なおばさんが通りかかった。

きれいになりましたでっしゃろ。

おばちゃん、アパートがあらへん。

たてかえしはりましたんどすがな。住んではるひとも、えらい、としのいった人が多おましたやろ。ややこし、もめましてんで。

今度のより前の方が雰囲気すきやったのになあ。

おばさん、自分が言いたいことだけいうと、さっさと、ほな・・と向こうに行ってしまった。
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by coppoumon | 2007-08-19 20:56 | 行った | Comments(0)
2007年 08月 18日

8月に

7月は家の用事が重なったことや、天候に体調がマッチしなかったのか寝てばかりいた。
母が退院してきて何とか自由に動けるようになって、気が緩んだのかもしれない。

8月、やっと京都に遊びに出ることが出来た。といっても用事があって出かけたのだ。
和菓子を買った。いつもの浪川菓舗。

葛餅、なでしこ、清流 金魚、桃。

桃を見たとたん、食べたくて我慢が出来なかった。お皿に載っていたのはほんの10秒ほど。
あれ・・・桃がさかさまになっている。

携帯カメラでとった後、口の中に消えてしまったから、もう取り直しがきかない。

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浪川の和菓子は美味しい。
葛餅の中の漉し餡の美味さ。
漉し餡は準備が大変なのだそうだ。朝7時から始めて3,4時くらいまでかけて、三回晒すんです。と店の若主人が話してくれた。

以前友人が漉し餡の化学変化を化学式で説明してくれたことがある。そのときは全く食欲をそそらない化学式であったが、晒すことで餡が変化するのだった。

金魚も漉し餡。なでしこは白餡。桃はなんと粒餡だった。
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by coppoumon | 2007-08-18 23:30 | 和菓子 | Comments(2)
2007年 08月 17日

里坊で

延暦寺は比叡山の中にあり修行も厳しい。
年老いて御用を終えたお坊さんは山を下り人里で暮らすようになる。
そういうお坊さんの隠居所として立てられた寺を里坊というのだそうだ。

公開されている旧竹林庵で、数時間を過ごした。それというのも、少し前に食事に入った鶴喜で、にわか雨に遭った直後の庭の美しさになかなか立ち去れなかったのだ。

建物は明治の初めに人手にわたり所有者も二転三転しているが、寺とは個人が所有するようなものではないのかも知れない。

祖母が、自宅の向かいの手ごろな庭付きの家が売りに出たとき、買おうと持ちかけたら、祖父が、あれは元尼寺だから、買わない。
寺は個人が買うものではない。因縁が深いから。とたしなめられた、という話をわたしにした。

祖母はあまり、空気を読まない、というか、読めない人だった。負けず嫌いで、自己主張だけが強い人だった。

弁護士の某○さんの話が祖母の姿にだぶる。

空気を読めない人というのは一方的な意思疎通。
こういう人は、人使いが荒いです。
仮に謝罪はしても反省はしない。反省しないというより、他者の気持ちを知ろうという発想が無いし、もしかしたら自分に何か原因があるのではないかという検証が無い。

落ち込むことがあっても、反省はしない。
いつまでもそうならその人個人の資質ですね。

(そんな人に)空気を読めとはいわないですね。泳げない人に泳げというのと一緒だから。

こういう話だっただろうか。

母がたの祖母の連れ合いはお寺さんだった。商売が大好きで、自分の商才を信じて寺を出たが、思慮の深い人だった。
もしこの夫婦の資質が逆だったら、祖父は、横柄でうわべばかり取り繕う、檀家の神経を逆撫でするより能の無い宗教人だっただろうと。
そうでなかったことに安堵する。

ここには竹林和尚様という方が住まわれたのだろうか。
里坊にこれだけの美しい建物と庭園、茶室を用意してお帰りを待ってもらえた和尚様は
よほどの人徳がおありだったのだろう。

寺院の手を離れた旧竹林庵の美しい庭を眺めてふと、こういうことを考えた。

     合掌
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by coppoumon | 2007-08-17 22:38 | 行った | Comments(0)
2007年 08月 15日

草津宿

子供の頃親しかった二級後輩が、福岡で大学を卒業して大阪に就職してきていることを、彼が家族を持ち、定年を迎えた母上を関西に呼び寄せるという頃に知った。

関西でどうやって余暇を過ごしたのかと聞くと、ひたすら街道を歩いたのだそうだ。歩いて、戻れなくなると電車を使い、後日また電車でそこまで行って先を歩くと。

私はそれほど自由になる時間が無かったので、近いところしか知らないが、彼は中山道も征服していた。

草津宿を訪ねた。中仙道と東海道が交わる草津川のすぐそばに草津宿本陣が残っている。
残っているというのは、一切合財が残っているという意味で、その中の「資料調査報告書Ⅲ」を求めて中を開くと郷里の殿様や親類達が宿泊した日と、支払った金額が全部書いてあった。
殿様とは、こんなにも動き回らねばならないのかと思うくらい、自分の邸には居なかったようだ。
こういう人に、人生は旅だ、といわれるとなるほどと思う。
一泊一両から二両。時に人参一斤が時には手代にまでご祝儀が振舞われている。雨で足止めを食ったからと追加をしたり、と生々しく当時の様子が想像できる。別の年には、人ではなくて長持16丁、荷物10荷とあった。

建物は便所や湯船まで当時のままに修復されている。

一番奥に、明治天皇も使ったという部屋と厠があった。2畳の床の間の付いた部屋の真ん中に漆塗りの便器があり、その都度、下に箱を置いたと説明が書いてある。


その手の箱は塗りの箱で、杉の葉を敷いて匂いを消したと、別の話では聞いたことがある。
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by coppoumon | 2007-08-15 12:20 | 行った | Comments(2)
2007年 08月 13日

再録・赤い椿とガッパ井戸

2005・07・14・22:26

郷里に帰って、知人たちと話をしているうちに夏向きの話になった。

魔が差す場所というのが、対馬にいくつでもあるものだから、ついそういった話が出てくる。

鶏知のババ様の家は山に古墳があったために魔性の山と呼ばれて人を払っていた。

町にも、魔性とされて一番ポピュラーだった井戸があり「ガッパ井戸」と呼ばれていた。

小学一年生の遠足は殿様が狩りをされて休憩された「御茶屋」にちなんだ広場だったが、行き着くまでにその井戸があったので、行きかえり、全員がその井戸を覗き込んで「こわくな~い」とはしゃいだものだ。

「ガッパ井戸」を覗くと死ぬ、ということになっていてその話は有名だった。

何の変哲も無い井戸で、なぜ道路の外側にそんな井戸があるのか、
どうしてそんな名がついたのか、由来は誰にもわからない。
道路は陸軍が整備したもので、それまでは高級武士の邸の一部であった。

井戸の傍らには、大輪のバラよりも大きな真っ赤な花をつける椿があった。その花が井戸の水面に浮くと凄みがあると言うので
皆が気味悪がった。

現在は道路が更に拡張されてすぐには場所が確定できない。

由来を知りながら知らず、秘してだれも口外しなかった事象。

隠し持っていたメダイか十字架を投げ入れて聖別した井戸。
皆に分かるように赤い椿の木を植えておいたんだ・・・。

そうして、ガッパ井戸と呼ばせた。

九州のあちこちで伝えられるキリシタンにまつわる民話を読むと、たくさん共通項が出てくるガッパ井戸。

赤い椿はキリシタンの印。かっぱはキリシタンのこと。

同級生達も少しずつ欠けはじめた。

そろそろガッパ井戸の効き目が現れ始めたのかな。




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写真は2007年5月10日に撮影したガッパ井戸があった場所。
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by coppoumon | 2007-08-13 12:25 | 郷里 | Comments(2)
2007年 08月 11日

閉店消滅

私の初代パソコンは林檎印のMだった。
その後2004年に買い替えをして知った某コミュニティがついに閉鎖になることが決まった。

そこで、たくさん日記を書いていたので、ここに引越しさせようと思う。

どう収めるか。
まだ、考えが及ばない。

同じテーマで書き直し、というのが良いかも知れない。
向こうでは写真が載せられなかった。それだけに文章が丁寧だと自分で思う。
こちらでは写真を載せて、少し文章を書き足すだけ。



居心地の良いところだっただけに残念。
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by coppoumon | 2007-08-11 23:51 | Comments(4)