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2008年 06月 22日

祇園の西

清水道を降りてきて、東大路を横切って西にさらに降りて人の気配があまりしないような道を探して建仁寺に入る。

お香屋さんのほかにも、洋裁学校とカフェを兼ねたお店が作品を展示していたり、いろんな穀物でご飯を炊いて売る店があったりする。

建仁寺は「けんねんさん」とよばれているが、その、けんねんさんを出ると花見小路を一度に目が覚める思いで見ながら、西花見小路に入り二つ目を左に、初音小路へ通り抜けた。

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この辺りも建仁寺の敷地であったのだろうか。お寺やお堂が40年前に見たのと同じように存在する。
荒れてしまえば敷石だけの庭になるであろう常光院はいつも手入れされていて、桔梗の花が景を添えていた。
雑踏を一本はいると、全く人に会わないというのも、良いものだ。と思ったところで大和大路に出てしまい、またなんともいえないコーヒーとラーメンの看板を見た。

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by coppoumon | 2008-06-22 13:09 | 京都 | Comments(2)
2008年 06月 18日

職人の技

話はまた掛け軸。

菱田春草の絵は、自筆の箱書きがしてある。
残念なことに春草は大正元年に38歳で亡くなっており、大正期に活躍したわけではないが、その後の画家たちの画風につなげる何かを感じることが出来る。

箱の表に書かれた彼の筆跡。これ以上傷みがこないように、京都で外箱をお願いした。
もう一つ、痛んだ箱の修理もお願いしたら、今日出来て、受け取りに行った。

私は桐より、樅が好きである。外箱は樅を、と、お願いしたら、立派なものが出来上がってきた。

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左側が、その箱。中はオリジナルの桐箱が入っている。

右側は、修理してもらった、別の箱である。
これは中も桐箱の修理をして、天板以外新しくなった。


写真はいずれ入れ換えます。
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by coppoumon | 2008-06-18 23:19 | 絵いろいろ | Comments(2)
2008年 06月 17日

今日のおやつ(2)

久々に浪川菓舗に立ち寄った。

ここの和菓子は実に美味しい。甘さが上品で、あと一つ、あと一つと欲しくなる。

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今日の薯豫は桔梗。薄紫を焼印の下に忍ばせてある。中はツブ餡。
カステーラ専用のお皿に載せてみた。
器は古伊万里・七人唐子。唐子が7人いるのは珍しい。
携帯のレンズで撮ったのでコバルトの発色が鮮やかであるが、実際にはもっと薄い色。

もう一つ織部の薯豫があり、これは漉し餡。漉し餡の上手さは逸品である。


これだけで、済む筈がなく、手は次々に伸びる。

もう、水無月の季節なのだ。
夏越にこれを食べる。
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器は竹腰潤氏。

ずっと、道を下っていくと、建仁さんの両足院では、半夏生の庭ということで拝観が出来るようだった。6月13,14,15日、20、21、22日の6日間だけ。
仕事ゆえ、恨めしく通り過ぎたが、21日ごろ出直してみようと思う。
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by coppoumon | 2008-06-17 00:00 | Comments(2)
2008年 06月 15日

愛と美と香り

京都でお香を買うとなれば、何かと有名な寺町の某で、御遣い物にするときは、そこの店の「勝梅香」に決めていた。
宮家から秘法を賜ったご縁からか、宮家の赤い色の包装紙、桐箱。

何かの文章で・・・・東京の人だった・・・・蚊遣りにでもお使いくださいと、頂いた勝梅香二箱・・・・・と言うくだりを見出した時、わくわくしながら読み下したものだった。

桐箱といっても、ピンからキリの桐箱で、それでも桐箱なのだからご愛嬌なのだろうか。


たまに出かけては歩く五条坂は、戦時中建物の立ち退きがあって、広い道路になっているが、北側は当時のまま残っている家があり、その中にお香屋さんがあった。

自家製のお香。

香を作って売る店も和菓子屋と同じことなのだ、と最近は思う。大きな自社ビルを持つところから、家族だけで拵える店。

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昨日、沈香の出来るだけ良いものをというので、某所に出かけた。
ここの沈香は1000年前の香木といわれている。
土中深くにうずまっているものを掘り出すのだと。

しかし、長い間、この店の名のおかげで、素通りしていた。何か高名な女の方のお住まいだろうと。

実は愛美香は、「えみか」ではなくて、「あいびこう」フルネームを柳田愛美香というお香の店だったのだ。

勘違いは面白い。
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by coppoumon | 2008-06-15 22:13 | 京都 | Comments(2)
2008年 06月 13日

まだまだ日本画

天気が良い日があると軸を出して吊るしておく。
今回は荒木十畝(じっぽ)。
荒木十畝は本名を朝長悌二郎。大村の出身で、お父さんが学校の先生だった。
東京で荒木久畝に弟子入りをして、娘婿に望まれたが、久畝もまた娘婿である。

これは昭和の初期に書かれた「芦と小禽」

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なんと、描かれた紙は、透かしが入っており、十畝紙と、読める。



もう一つは、晩年の作。彼がなくなったのは昭和19年の9月、敗戦直後である。
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こちらは紙に透かしはない。

「木蓮と小禽」

裾に、海棠桜が配されて僅かな緊張と美しさを更に高めている。

飽きることなくいつまででも眺めて、いられる十畝の作品を好きだ。

余談だが、養父の久畝の作品も良い。
その父というと江戸時代の終わりの人だが、その作品も一点だけ見たことがある。
作風がそれぞれに違っていて、やはり十畝には昭和モダンの垢抜けしたものを感じる。

そうして、私は昭和モダンを大好きである。
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by coppoumon | 2008-06-13 22:51 | 絵いろいろ | Comments(0)
2008年 06月 11日

小旅行

入梅をまえに、友人宅へ遊びに出かけた。

そこで、みた古軸が面白かった。

軸は、嵐山に讃が添えられている。しかし、その讃がいくつか読めない。

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は~~書道やったことがないから、込み入ってくると変体仮名は読めないのだ。

ところが、幼馴染のT姉が、手助けしてくださった。

みよし野は

いにしえしのふ

ところに弖(て)

花者あらし乃

山ぞまされる

隆正

絵は精斉。
まてよ、精斉の書なら、見たことがある。

精斉は、1823年生まれ、1883年没。松江藩士妹尾清左衛門の子。江戸で昌平校に学び藩主から雨森の名を賜って、雨森精斉を名乗った。

讃をした大国隆正は、1793年生まれ、1871年没。津和野藩、江戸藩邸生まれ。今井隆正の名で昌平校に学ぶ。脱藩後野々口を名乗り、1851年津和野藩に復帰。1862年、69歳の時石見の国大黒村で、大国主命の古蹟を発見して、大黒に改姓。国学家。

こういう知識は、「国史大辞典」吉川弘文館からの出典。

改めて、この軸は、山陰の儒学者と、国学者のコラボレーションだったのだ。

ということで、この軸は150年くらい前に描かれた可能性が強い。

さて、この軸は、島根の友人宅のもの。

掛けることができる間は、表装をオリジナルのままにしていたほうが良いのだろうなあ、とおもう。
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by coppoumon | 2008-06-11 23:43 | 絵いろいろ | Comments(0)