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2010年 08月 25日

ニシン茄子

ニシンといえば、神戸を歩いていたとき、乾物屋にニシンを束にくくって、薪のようにして売っていた。持って歩くこともできずあきらめたのだが、今でもあるだろうかと、気になる。

奈良で、ニシン茄子に会った。オルガンの練習に行き、食事をする店の常連になった頃、ニシン茄子が出た。
普段の惣菜だし、目分量でつくるから、教えようがない・・という。

ニシンは下ごしらえが必要。無洗米がでまわるようになり、とぎ汁から調達する必要がある。


ニシンは、4,5時間米のとぎ汁につけておき、たっぷりの番茶でやわらかくなるまで茹でて、うろこをきれいに洗い、適当な大きさに切る。

ニシンを煮る。

4本ニシンを使うとしたら、ナスは5,6本。4人分くらいの分量になる、

水をカップ半分。そこに、醤油と砂糖を大匙2杯いれ、酒を大匙1入れる。これも目分量。酒が2になることが多い。

ひと煮たちさせて、弱火でニシンを煮る。煮すぎないこと。

その間ナスのヘタを取り、縦半分に切って斜めに浅く包丁目を入れ、水に放ちアクをぬく。


ナスを煮る。

水カップ1、ニシンを炊いた煮汁全部をあわせてナスをいれ、煮えたら醤油大匙1、みりん1を加えてニシンを戻して2分ほど煮る。


錦市場に行くとソフトニシンという名で、戻したものを売っている。これがあれば、手間が相当省ける。


更に手抜きをして、ニシンの炊いたのが真空パックで老舗から売られているので、あれを使う。

水に酒を少し入れ、真空パックから出したニシンを入れて振り洗うようにつけておく。

ナスは、鱧の骨切りかと思うくらいに細かく、浅めに包丁目を入れ3センチ少しくらいずつで切り離し、水に入れてあくを抜く。

ニシンの入った鍋を火にかけ、沸騰したらナスを入れる。酒と醤油を加減をみながら足す。
煮えるまで4分くらい。火を止めて出来上がり。

ナスに手を掛けるのは、手抜きがばれないためでもある。

ニシンとナスは出会いだといわれる。
しかし、やってみて出会いだと思ったのは、あわびの肝。

あわびをたくさん頂いて、ナマで食べきれない分を煮貝にした。その煮汁でナスを炊いて、肝を添えた。
あわび・・・滅多なことでは来ないだろうなあ。
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by coppoumon | 2010-08-25 09:31 | メニュ | Comments(0)
2010年 08月 19日

お盆明けからの連休

酷暑が続く。

お盆があけた16日から4日間連休となった。
金曜日仕事があるが、土日とまた本来の休日がめぐってくる。

仕事部屋は大掃除をした。
ピアノの上は出しっぱなしの軸の箱類、下は何かわからない紙類。箱類。

大学の卒業証書まで出て来るような有様である。
証書は、これまで履歴書を書く必要がなかったので、何の役にも立たなかった。
開けて広げてみると立派な手漉きの和紙で、学校の透かしまで入っていた。
これで葉書を漉いたら、立派なものができるだろうなあ、とおもった。

頼んでおいたお茶碗が2箇所から届いた。
ひとつは江戸末期から明治の末まで桟原さんという父子がかかわった対馬の焼物。
ひとつは高麗・對州絵御本。蕨の絵。

桟原さんのは、志賀(しか)茶碗、立鶴柄とペン書きされた紙が貼ってある。中に古新聞がしいてあり、昭和28年の朝日新聞だった。志賀窯は大正6年ごろ陸軍が軍用道路を通したので、消滅したが、大正3年ごろには、操業をやめていたと、聞いている。

桟原さんは、江戸期そのままの技術を継承しておられて、高台の力強さを特徴としておられた。
立鶴柄・・御本立鶴のことを、そう書くのだから、そういった人の手元にあったのだろう。轆轤も、高台もみごとで、どこかほのぼのとしたお茶碗だった。


もうひとつの高麗・對州絵御本茶碗は、なんとまあ、チャーミングな茶碗だった。

箱書きは何か文字を消して對州と書き換えたような跡があった。箱書きには御本茶碗。
早蕨とされる模様は、どっぷりとおおらかで、高台も悪くない。

ぜんたいとして、おおらか。華やか。

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紀州の方から譲っていただいたこの茶碗。
これは、對馬の茶碗なのだろうか・・といぶかしくおもう。

箱書きは「惺斎」

和歌山は表が盛んだった・・と聞いた。

これまでに全く見たことのないタイプの茶碗だが、狭い空間で少人数をもてなすことから、変革があったといわれ、お道具も華やかなものが使われるようになったといわれるこの流派の箱書きなら、對馬の茶碗なのだろうなあと、自分の知識を払拭した。
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by coppoumon | 2010-08-19 13:31 | Comments(0)
2010年 08月 16日

お盆・・・被昇天のマリヤの日、錦で

錦市場は、食材を買いに行く場所で、そこで食事をしていく、ということは考えられなかった。

山茂登という蕎麦屋の他に、二軒ほどうどん屋と寿司屋があったが、山茂登は店を閉じて数年が経つ。

その店は焼物の店になって、奥に座敷が出現して、さすがに京都だなあ、あんなに格調の高い座敷を映画のセットのように再現できるのだなあ・・・と感心していた。

どこかの家を買って、そのままはめ込んだのだろうか・・と思っていたら、蔵で、即売会をやっていたので思い切って入ってみた。

そうして、そこにいたのは山茂登のご主人だったので、驚いた。

あの、土間の部分が元の店です。その奥に、元からあの座敷はありましてん。
明治20年にたてた家で、私の親が90代までここで暮らして、わたしら、店をしながら面倒をみてましてん。

それが、息子に代を譲って、陶芸をする、というので、蕎麦屋は私だけの代だったのですが、
いかんせん、また、週に3日でもどこかで、こじんまりと蕎麦屋をしようかなあ、と、最近、そういう気持ちになってますねん、

こういうお話だった。

ダシが、美味しい店だった。
私は、ここの天とじどんぶりがすきで、おやつ代わりにした。

ご主人は、

ええ、だしは、いろいろと工夫しまして、作ったばかりだと、分離していて、3時間ほどすると一番良い状態になるんです。それからだんだん酸化してまいりますから、もう3時間もすると、店を閉めてしまうんです。

それで、夕方6時半だと店が閉まっていたのですね。

そうです。6時までで、閉店。

京都で演奏会があると、少し早めにここで、少し腹ごしらえをしてから、出かけた。

出しは、しんみり2つほど、濃い目でしたね。というと、ええ、ええ。とご主人が好相を崩された。

最後の記憶は卓袱蕎麦。3年以上前のことだ。

お盆には似つかわしくないけれど、8月15日の話である。
あ、地獄にホトケって感じがしたなあ。
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by coppoumon | 2010-08-16 10:23 | 京都 | Comments(0)
2010年 08月 11日

お盆・・・被昇天のマリヤの日 2

母に言われてデパートを歩く。

日ごろ出かけるデパートは地下がないので、デパ地下とは言わない。

お盆ゆえ、胡麻和えにするササゲをさがしたが出回っていないようで、母に言うと、ササゲは鍾馗豆のことやろ、お盆の頃に出回るから、もうそろそろ出てもよさそうなもんやのに・・という。

まさか、盆菓子と一緒に売られているというわけでもないだろう、と笑った。

ナスをアラメと炊いてくれるようにいうと、え?アラメと炊くの?そんなん知らんで、というが、ああ、アラメを炒めて暫く煮てからナスをいれるんやな、という。

反対でんがな。

アラメは15分くらい水に漬けてもどし、よく洗って水気を切っておく。
ナスは縦半分に切り、斜め切りして水に放した後水気を切る。

ナスを油でいため、油が回ったらアラメを入れて更に炒めて油をなじませる。

そこにだし汁を加え煮汁が4分の一くらいになるまで煮詰める。


茄子2本に対してアラメは30グラムくらい。

だし汁は、カップ1より多めの250ccほど。酒をテーブルスプーンで2杯加え、醤油は少な目の一杯半。
砂糖を醤油と同量加えておく。

決して見栄えはしないが、美味しい。4人分くらいの量になるので、残りは翌日冷やして食べる。

アラメを戻す間にだし汁をひき、調味料を加えておく。ナスを下処理して水気を切るころに、段取りが揃う。


おはなちゃん、つくってみんさいや。

筒型の湯飲みのような少し深目の器にいれると、見てくれの悪いのが隠れるけんね。

きゅうり、トマト、錦糸玉子などを美しく載せた素麺なり、茶蕎麦なりと組み合わせて、味がだぶるけん、
麺は切りゴマか、半ずりした入りゴマを入れんさいよ。
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by coppoumon | 2010-08-11 19:32 | メニュ | Comments(0)
2010年 08月 11日

お盆・・被昇天のマリヤの日

8月15日は被昇天のマリヤの記念日。

現身のまま天に昇られたので、聖遺骨が無いとされる。

それが、そういわれると、不謹慎なことに私が幼時に聞いた「タコの遺骨は帰らない。タコには骨が、タコには骨が無い」という「湖畔の宿」の替え歌を連想する。

歌ったのは高峰三枝子。
彼女は、どこかのピアノ科の出身なのだそうだ。
それを聞くと、彼女の節回しが、さらに煩わしくなって「湖畔の宿」の歌そのものを聞きたくなかった。

家には、1961年に録音された「森サカエ」の湖畔の宿がある。服部良一氏の作曲で、編曲が服部克久氏。
ん?50年前の録音なのか。

もう一枚は、丸山明宏の1970年ごろの録音と、1995年の美輪明宏。編曲は中村五郎氏。伴奏は同じ音源のようだ。

湖畔の宿には、替え歌がある。

おはん、あん時、どげん言うたな。 帯も買うちゃる、銭も遣るち。

たまにゃ シネマも連れて行く。 そげん言うちょって うちば騙すとな。

そばだってん うちゃまた ホンに 好いちょっとよ。


昨日の夢と、焚きすてた、古い手紙のうす煙より、よほど、リアルに女心が出ている替え歌の詩を好きである。
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by coppoumon | 2010-08-11 18:57 | Comments(0)
2010年 08月 09日

長崎の日 茅乃さん

長崎日大高校が高校野球で、初戦突破の日。

今日は長崎に原爆が落とされた日である。

土曜日、教会にオルガンの音出しに出かけなければならなかったが、時間がだんだん押せ押せになり、身支度をして玄関にたつと、宅配便が届いた。

対馬からで、魚と書いてある。
何だろう、と急いで荷をほどくと、秋刀魚のみりん漬6枚、鰯のみりん漬9枚、小あじの干物9枚。サザエ10個、烏賊三杯をはらわたを抜いて足と身とに調理したもの三杯が、入っていた。

長崎に所縁のある方におすそ分けして、残りは母と分けた。

これ、久男ちゃんの作った干物だと思うよ・・おっちゃんの跡を継いだのだから、おっちゃんの味かもね、と母に言うと、赤ちゃんやったのに・・と笑う。
対馬で秋刀魚なあ・・網にはいったんやろなあ、と母は焼くために台所に立った。

わが家から一番近いところに住まわれていた長崎の出身の人は、なんと、永井隆博士のお嬢さんの筒井茅乃さんだった。
以前から家の前を歩いておられたり、バス停で顔見知りではあったが、まさか、茅乃さんだとは思いもよらないことだったのに、私のゴッドマザーの引き合わせで知己を得た。

茅乃さんは対馬には行ったことが無いが、五島なら知っている、といい、暮らしぶりはよく似ていますよ、というとうなづかれた。

今では、なくなられて1年が過ぎ、日曜日にミサに行くのにバス停でお会いすることも、近所の生協や、道端でお会いすることも無い。

対馬からの季節の便りを、おすそ分けすることももう、ないのだ、と思うと、いくばくかの寂寥感が沸く。

永井博士の娘、という目で見られることを極力避けて居られる、と人づてに伺っていたので、こちらからはそういった話をしたことは無いが、お兄さんの誠一さんがなくなられたこと、資料館はその息子さんが継がれたこと、父は、島根と長崎に分骨しました、などといっておられた。

あとは、長崎の食べものの話、教会のバザーの話、オルガンのご奉仕の話を尋ねてくださる、そういったお交わりだった。

冷凍庫の中には、筒井さん手作りの、お庭の蕗で作ったきゃらぶきが二包み保存してある。
しかし、食べなきゃなあ。
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久々に永井博士の「この子を 残して」を読み、茅乃さんをしのぶことにした。
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by coppoumon | 2010-08-09 23:37 | Comments(0)