のんびりいこうよ

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2005年 08月 30日

休息

思うに任せぬ一日を振り返り、気が付くと雨。
秋雨前線と台風の発生だそうで、天気は不安定。
時折強い雨が降ってくる。
バス停から家に駆け込むまでの2分足らずでずぶ濡れになった。e0036151_2224996.jpgお風呂上りに何かアルコールを入れておこう。
と、おつまみになる物を探したら、香川の醤油豆が出てきた。
ソラマメを煎って味醂醤油に漬けておき一味を振ったもの。
母方の祖父が印通寺の出身で自家製をよく、作っていたそうだが、私はしらない。
ソラマメを、このようにして食べることを誰が思いついたのだろうか。
アルコールとこのソラマメは出会いなのだ。

e0036151_2225828.jpgフォアグラはソテーしてしょうが醤油で食べる。
しかし生姜を摩り下ろすのが面倒だなあ。

コンソメをゼリーで寄せて冷ましておき、卵の黄身とたっぷりのバターで焼いたブリオッシュの生地のパンを買ってきて、このフォアグラの缶詰の中身を、適当に切る。
こっちの方がうまそうだなあ、と冷蔵庫の中をみていたら、豆腐があった。
豆ばかりだね。
e0036151_2226123.jpgお豆腐を少し、何もかけずにつまむことにする。
物足らなければ、お代わりする時に柚味噌を乗せたらいいのだ。

もはや、すぐにでもアルコールが欲しいと、体が叫んでいる。
風邪を引かないために。

アルコールは、この間、送ってくださった琉球の泡盛、咲元。

e0036151_22264792.jpgかなり強い香りが立ち上がってくる。
外で泡盛を頂くチャンスは多い。
しかし、こうして、いま我が家に鎮座ましまして、良薬になろうとしている。

電話もかかってきませんように、だれも、たずねて来ませんように。
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# by coppoumon | 2005-08-30 22:55 | メニュ | Comments(5)
2005年 08月 28日

西国街道

38年まえ、阪急高槻駅を下りたのが高槻への第一歩である。、
某銀行の社宅があって、三軒のお宅の五人の子どもさんの家庭教師をすることになったのだ。
芥川商店街を抜けて、西国街道を南下していく。あたりは田んぼで遠くに今城塚やその向うには継体天皇稜などが見渡せ、西山に太陽が沈むときは、古代そのままの情景ではないだろうかと、夕暮れを楽しみに待った。

当時は隣町の茨木に住み、バイト先までの道すがら誰にも会うはずも無いのだが、実は商店街の裏には体育大学へ通う高校時代の同級生が下宿し、商店街の中の私が楽しみに通った「レストラン唐崎」の向かいの本屋で、滋賀大に通う友人がバイトしていたこと、電車から降りる姿を、幼稚園から中学校までずっと一緒だった友人が見かけていたことを、あとあとで知って、偶然が一致しなかったことの不思議さ、神様の意地の悪さをおもった。

JR高槻駅から西国街道を北に歩くと旧高槻電車区がある。
茨木に住んだばかりの頃、親しい人もほとんどいない頃にお世話になった人が勤務しておられたその場所を、これもずいぶん後に知った。

高校を出たばかりの私と、まる2年、勤めた人ではこうまで社会性が違うのかと、何から何まで甘えさせていただき、お世話になったが、私がピアノをがんがん弾ける場所を探して6回引っ越したため、連絡が付かなくなってしまった。

この6年ほど私は旧高槻電車区の近くの教会でパイプオルガンを弾いて、その帰りには必ず西国街道を歩いて駅に出る。この道は私が面倒をかけた彼が通勤に歩いた道だったのだ。

この間やっと、連絡が取れる手はずが付いて、彼の消息が分かるかも知れない、というところまでこぎつけた。
その、二日後、別のことで、高槻電車区に勤務しておられた彼の上司だったかもしれない旧国鉄OBの方の二人のうちのお一方の消息が分かったのだ。

今回は、神様の底意地の悪さを知る思いだった。

e0036151_23355340.jpg(写真は京大演習農場から高槻電車区を携帯で撮ったもの)
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# by coppoumon | 2005-08-28 09:37 | 摂津、茨木、高槻 | Comments(2)
2005年 08月 27日

もうすぐ失われる

JR高槻駅北口を下りて山手に歩くと西国街道にでる。
元々、北口は淋しくて、西国街道も、近くの工場に勤務する人たちの時間帯が過ぎると、静かな田園風景そのままのままの佇まいであったが、やがて記憶からの遠ざかってしまうであろう風景になり、近頃更に様変わりをしようとしている。
e0036151_23161057.jpg私は残された木造校舎の写真を撮りたくて、この湯浅のある白梅町を歩いた。この一帯は、広々とユアサの工場であった。
ここには湯浅の学校、昼間、工場で働く人たちのための湯浅学園がついこの間まであったのだが今は無く跡地はただの駐車場になってしまっていた。
工場の建物はもうすぐなくなってしまうようで早くに操業を停止しており、たくさんいた若い人たちの群れを見ることは無い。建物がシートで覆われ始めた。この街道を、進むと旧国鉄の高槻電車区があり、更に北上すると物集女(もずめ)街道と交わり京都への入り口である。

e0036151_23164797.jpg西国街道に面して、門を開いていたこの平屋建てのこの建物は、腰の部分が分厚い板をはり、上半分をモルタルで仕上げてある。
いかにも大切に扱われて、補修されてきたこの建物は、本来の工場の玄関だったのだろうか。細部までデザインが丁寧な建物で最近までデイケアのために使用されていたのだ。
私のユアサの記憶は、大小さまざまな乾電池である。白地に紺でユアサとロゴが入ったものを郷里の電気店のショウウインドウで見ていた。その乾電池を買った事も使ったこともないが、関西生まれであったと、近頃知った。

e0036151_231845.jpg梅田の阪急デパート一階。
阪急電車の旧改札口である。こういうゴージャスな、緻密な空間を共有できる喜びが、孤独を紛らわせてくれたし、都会で暮らす楽しさだった。
ここも、建物のたてかえに伴い、もうすぐ消滅してしまう空間なのだ。
当たり前のように通過し、そのたびに浴びていたこのシャンデリアの光のシャワーとも、お別れの日が来る。
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# by coppoumon | 2005-08-27 23:31 | 摂津、茨木、高槻 | Comments(4)
2005年 08月 25日

おまんを食べたい

e0036151_101117.jpg2週間もあった長い夏休みも酷暑つづきで、家の中で過ごしていた。
明日で休みは終わり、という頃になって、気温も下がり京都三条白川まで遊びにでることになった。
行った先の一つは和菓子屋ではなく、普段におやつに食べるおまんやさん。
買ったのは水羊羹。おまんやの水羊羹にふさわしくビニールの桜の葉でくるんである。
大きさ、色、質感がよい。特に小豆の香りが良い。 130円。



e0036151_1023639.jpg次に葛餅。
葛餅は食べる30分前に冷蔵庫に入れたらよいとされる。本葛は、長時間冷蔵庫に入れると固くなって、風味を損なうからである。
このくずもちは、そんな心配が要らないかもしれない。
余りにも美味しそうで、案の定、撮影中に紛失してしまった。
舌先で、漉し餡がほどけていく様も、微妙な塩の味加減も形容しがたい。 
130円。



e0036151_103119.jpg店のすぐ近くに明地光秀の首を隠した首塚があり,それにちなむように光秀饅頭を売っている。
これは一年中あるようで、大島に明地の家紋を焼印で押してある。
上品な味のする大島の中は粒餡。 130円。

やはりなんといっても、葛餅が絶品だった。
ここのお店はいつ立ち寄っても感じが良い。



e0036151_21193712.jpg白川の北側に祇園饅頭を作る工場があり、午後4時ごろには、出来立てを次々と買っていく人たちがいて、時に、おまんを求めて観光客が行列を作っていることもある。
古川町商店街にも近いこのあたりは大好きなスポットである。
夕暮れの白川を楽しんで、祇園に移動。路地の中の「甘泉堂」を訪ねた。
こちらは最上級の和菓子を扱う。
祇園で遊ぶと、請求書に、甘泉堂の和菓子が添えられ、どちらも中を開けて飛び上がる、という。
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# by coppoumon | 2005-08-25 10:18 | 和菓子 | Comments(5)
2005年 08月 24日

なんで、こんな看板が(その二)

大阪と、京都は言葉が異なる。
大阪では書き言葉が様のときは、話し言葉がさん。旦那様は、だんなさん。
書き言葉がさんだと、話し言葉がはん。番頭さんは、ばんとうはん。
書き言葉がはんだと、話し言葉は、「H」抜き。 おとん、おかん。
Hを発音しないのだ。おフランス語と同じではないか。

京都の尊称は全く分からない。蔑称はわかる、これは本能だろうか。

京都には、「はん・半」がつくお店が多い。それも食べるものに関係のあるところ。
好きな料理旅館に八坂の「玉半」があって、岡崎にも食事処を出していた。
高級ではあったがお代が「玉半」の半額にも満たないお店なら「半玉」ではないのだろうかと、看板を見初めてしばらくは、いちいちレ点がないかと遠回りになっても確認して通ったものだ。こんなことで艱難辛苦しても「玉・gyoku」にはなれない。

京都市役所うらの、押小路通りを東に歩いていくと麩屋町通りと交わるところに湯葉半がある。
営営と受け継いで来られた湯葉作りが建物の風格とともにそこにある。
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湯葉半の向かい側は白山神社。
この神社は地理的に京都の「へそ」にあたるのだそうだ。丁度真ん中なのだと1911年生まれのおじいちゃんが私を摑まえて力説する。
シャーマニズムが完全な形で残っているのが、この、日本神道なんだよ。と、お説が始まった。

・・・あ、おじいちゃん神主さんだったの?九州のアクセントがあるから九州の人だとは思ったんだけど・・・

そう、福岡の岩倉八幡宮の社家の生まれでね、今はこうやってここの番をしてるの。

でね、天は男性、地は女性、雲は・・・と天空に描くエロスの饗宴を説き、豊饒を生むすべての根源と限りなき前進の開始が神道の神であると、私に神道の本質を教えてくださった。
3分半で・・。
ああ、驚いた。


押小路通りは静かな上品な佇まいで、純銀製の工芸品を作って並べているウインドウを覗いたり、骨董品屋やフランス料理の店先のメニュを見ながら右往左往していると、以前一度、通りがかった場所に出た。

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なんでやねん!
だれが、この朝日の当たるすがすがしい場所で、脱糞を試みるというのだ。
私か?

この美しい文字と書かれた内容のミスマッチ。
ここには犬と人とのそれを見分けるデリカシーの持ち主の目がある。

京都は不思議だ。奥が深い。


カメラはコンタックス T-2 レンズはカール・ツァイス ゾナー f2,8 38ミリ
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# by coppoumon | 2005-08-24 23:09 | 京都 | Comments(4)
2005年 08月 22日

なんで、こんな看板が(その一)

地下鉄北山駅から深泥池(みぞろがいけ)に向かって歩く。更に愛染蔵から太田神社、上賀茂神社へと歩くと、1,5キロほどの距離になる。
ほとんど人にも会わず、カメラをのぞきながら静けさを楽しむのには良いコースだ。

広い通りにはディスプレイにつられて入りたくなるお店が並んでいる。
カバン、靴、シャツ、米軍の放出した家具類、椅子、石鹸やメープルシロップに至るまで。
つい、買いたい衝動に駆られるが、買ってしまうと重い荷を背負うことになるので、いつも機会を逸するのだ。

とりわけ、靴のコレクションとディスプレイの見事な店があったが、一人ではどうも入りにくかった。

なんだい、これ、何の店?

「UNCUT」   へえ、そうなんだ・・・・・

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この店が、メンバーズカードを発行しているんだったら、何の店でも構やしないから、メンバーになって、カードを貰おうよ。と言うと、友人はこの看板の横で、記念撮影をした。

シャッターが下りている。メンバーズクラブかなあ、きっと同じ人ばかりがあつまるにちがいない。
自己申告するのかなあ、検査、測定とかあるのかなあ。白昼堂々とこんな看板だしてるなんて。
それにしても京都は不思議だ。

近所にカットハウスがないのは、さらに残念、と私が真顔で言うので、バイリンガルの友人が笑い出した。


馬鹿な話をしているうちに深泥池に着き、トンボを飽かず眺め泉仙の弁当をひろげた。

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ここは史跡として天然記念物に指定されているので本当に眺めているだけの場所で、魚釣りも植物採集もできない。

鴨が棲み付いているが、私たちが食事をしていても、鴨川の鴨と違って、餌をねだりに来ないのだ。

さっきの看板も自然派の人たちの集まるところなのかもしれないな。
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# by coppoumon | 2005-08-22 21:12 | 京都 | Comments(10)
2005年 08月 20日

夏の終わりに

e0036151_22331763.jpg昨年は台風の当たり年で、母の家が被害をこうむった。こうむったというより、少しずつ雨漏りが気になり始めて、屋根の全面葺き替えをしたのである。 
工事は玄関と台所の改装して終わった。
もう大雨が降っても大丈夫、と安堵していたら、冷蔵庫が微妙にお漏らしを始めた。もう16年使ったんだから諦めよう、と買い替えることになり、貴重な休日を割いて家電販売店へ。
トイレ、風呂、屋根、冷蔵庫、順に新しくなってきて、次は洗濯機だろうと親は言う。水に縁のあるものばっかりだ。
ゆくゆくは水葬にしてあげようか・・といいかけて押し留めた。瓢箪からコマというからである。

出かけるときは良い天気だった。

買い物を終えて配送日のことで家に電話をすると、今、夕立ちで、強烈な雨だという。
これでは、届けてもらう日も、きっと雨に違いない。こんなに水が好きなんだから。


出掛けに、本が届いた。堀江敏幸の「河岸忘日抄」「もののはずみ」である。
今年の夏は恒例にしている戦記物を読まなかった。暑さにあえぐばかりで、本田靖春全集を読むつもりでいたことを、今頃、思い出す始末だ。
かれは「暮らしの手帳」に身近な事柄を取り上げて穏やかな語り口の良い文章を寄せていてすきだった。
e0036151_15484745.jpg堀江敏幸は、本の中に、ふんだんに写真を使っていて、それはそれで好きなのだ。ファンタジーをひろげてくれる。
そして、最近堀江が「暮らしの手帳」に連続して文章を寄せるようになった。
このようにして、私の好きな作家が結びつくとは思いがけないことだった。
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# by coppoumon | 2005-08-20 23:06 | 読んだ | Comments(4)
2005年 08月 18日

京菓子

残暑。
朝起きると28度、日中も31度くらいの気温になった。目が開くと32度、日中36度、という暑さはもう、ごめん蒙る。

和菓子の世界は、先取り感、初物を大切にするので、このような菓子もそろそろ終わる。

甲府から奥に入った白根町で宿泊した折に、宿のかたがブドウをお土産に下さり、「この辺りでは初物と、そして、最後になる物を、名残、といって喜びます」と言われた。

この菓子は笹の葉に包んで石清水(いわしみず)という。失礼、御名(ぎょめい)であらせられる。さしずめ名残の菓子になるのであろう。

「石清水は」琥珀羹に大徳寺納豆を刻んであり、慈味といっておられるが、琥珀羹がそれを引き立てる。
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器は對州立亀窯の鉢、江戸後期のもの。

実は、この和菓子舗の、高瀬川を挟んだ西側に郷里の藩邸があったのだ。藩邸が閉じる頃に、この和菓子舗が始まったので、すれ違いだったかも知れず、同時に存在したかも知れず、それは分からない。


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童謡に、金魚はどうしているかしら・・・・という歌があった。
金魚も、お盆までの風景としたら、この金魚の和菓子こそ、夏の名残そのものなのだろうか。
赤い金魚は羊羹で作ってあった。

金魚を容れた器は木村盛伸氏、鈞窯。
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# by coppoumon | 2005-08-18 14:36 | 和菓子 | Comments(5)
2005年 08月 16日

京都の中の京都

大文字の日の朝は早い。
銀閣寺門前で行われる護摩木の奉納受付を見物して、山に薪を運び上げる姿をカメラに収めようと出かけた。
薪の奉納所では、松割り木や護摩木に願い事を書いて納め、それをトラックで山頂まで運ぶ。

背負子で山頂まで上げるんじゃないんですか。

あ、背負子で歩いて上がるのを見れるのは妙法。ここは山頂までこの軽トラで上がれるんですよ。

そのようなこをと言われても、いまさら間に合わないので、拗ねてあたりを見ていると、降って沸くかのように人、人、人の波になっていく。

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如意が嶽の山頂まで、山歩きをする人も多いが、午後5時になると山への立ち入りが禁止されるのだ。今年の松割り木は天橋立で倒れた松の木が寸法に切断されて運ばれた。

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朝9時過ぎには人で身動きが取れなくなってしまった。
銀閣の門前の土産物やの、他のどこに、おいしい柴漬けがあろうかと、言わんばかりの口上が、よりいっそう強烈に耳を突く。

こんなにもたくさんの人々が参詣して年に一度の、大文字を支えているのだ。
観光客を目当てに並ぶ門前町。こんな日は、来てくれてありがとうセールくらい、やってほしいなあ。

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銀閣寺から戻って、出町柳から京阪に乗る前に立ち寄った下鴨神社。
ひと気のない神社で朝の光と静寂を楽しんでいると
目の前を、すごい速さで、純白の麻の装束の神官たち六人の列が、目の前に来て遠ざかっていった。

夢のような光景で、ピントを合わすタイミングもなかった。

え~い!目測。

カメラはアルパ10d 、レンズは上2枚が、キノプティク100ミリf2,0、下はマクロスイーター50ミリf1,9
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# by coppoumon | 2005-08-16 18:03 | 京都 | Comments(2)
2005年 08月 15日

近況

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8月15日はお盆。何故かマリア様の昇天された日である。どこで、何歳で召されたか、全く分からないが、そのまま天に昇られたので、遺骨はないということになっている。
そういえば、我が家のマリア様にも骨はない。ひっくり返すと、脳みそのところまで空っぽだ。


・・・・・最近、幼馴染の少し年上の女の人と二人だけで暮らしています。彼女は物静かで、ほとんど食事らしいものも摂らずに一日を終えます。
何かお願いしても、ほとんど無視されますが、しっかり留守番をしてくれるので、安心して家を空けることが出来ます。と同時に逆に外泊を絶対しないようになりました。
彼女のおかげで私の心は常に安定して、穏やかです。・・・・・(写真上)


40年も前、高校2年生の夏を、広島のイトコのうちで過ごしていたが、
今日は、教会で盆踊りじゃけ、行ってきんさいや。と勧められた。

どうして、盆踊り?

神父様が日本にこられて盆踊りに夢中になられて、やぐらを組んで、教会でなさりたいとおっしゃるので、毎年、やるんよ。
なんでじゃ、言うとる人もおるんよ、しかし、みんな被昇天のマリア様の祝日じゃゆうて、喜んで踊っとるんよね。

炭坑節でいいの?

マリア様のことを、江戸時代はお月様ゆうたんじゃけん、気にせんのんよ。

高校を出てすぐ、私は大阪府下のI市に移った。
カソリック教会の前を通りかかると、なんと、ここでも盆踊り。

マリア様の日ですよね、と問いかけると、そうなんです。毎年こうして納涼をかねて集まって
盆踊りもやるのです。

いまでも、どこかでマリア様に納涼会をお奉げしているところがあれば、うちのマリア様と
外出しようかなあ。

今日は、乳香を差し上げた。
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# by coppoumon | 2005-08-15 10:53 | ああ、びっくり | Comments(4)