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2005年 12月 24日

美味しいもの(その三)

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以前に、このブログに書いた、ういろうである。
結局、私が送ったういろうを、嫁は、姑には見せるのも惜しんだらしくて、姑の口には入らなかったらしい。

余りのうまさに、夜になって、友人から電話がきた。
いままでういろうと茄子は、嫌いなものの範疇で、たべなかったのが、こんなうまいういろうなら、嬉しいよ、とのたまう。

ほざけ~、ほざけ~!! なんぼでも送ってやら~~。
ヤツは、わたしの嫌いな蟹を生きたまま送ってくるのだ。

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江戸時代、京都市内の和菓子屋は白砂糖をあつかうことが出来たが、ほとんどは黒砂糖しか扱えなかった。
黒砂糖なりの美味しさを追求した菓子がたくさんあって、こちらの方を好きという人は多い。

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ここのお店は、根来の60センチほどの大きな鉢に白いのと黒砂糖のものとを10個、波のように、鱗紋のように、同志社の校章のように美しく盛り付けてあった。

わたしは、おもわず、これで、一人前かと、深く感動した。


器は鉄絵、絵高麗皿

レンズはマクロズイター50mm、f1,9
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# by coppoumon | 2005-12-24 09:30 | 京都 | Comments(0)
2005年 12月 20日

美味しいもの(その二)

Z氏との話のなかで、イチゴ大福のことになった。

関西で、○○大福、と名づけられたのは雪見大福が初めてだったように記憶する。
極めて、キワモノ的な食べ物としか思わなかったし、その頃は、ミスマッチな食べ物が流行して、豆乳に少し醤油をたらすとカフェ・オーレなどという類のものが商品として出回っていたのだった。

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イチゴ大福もまた、その手のものだろうと、見向きもしなかったのを、十三の知り合いの和菓子屋が、美味しいから是非に、と下さったのである。
作る人が美味しいからと勧めるからには余程のものだろうと、期待して口に運んだら、あら、まあ、なんと、美味しいのだ。

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イチゴを芯に白い漉し餡をまき、羽二重でくるんである。
イチゴの酸っぱさと、白餡の甘さがそれぞれを引き立てて、爽やかにうまい。

レンズはマクロズイター50mm、f1,9

この写真は住吉団子というお店のイチゴ大福。

さて、Z氏は、私に質問した。
「今年、あとどのくらいイチゴ大福を購入する予算をお持ちですか」
「イチゴ大福に当てる予算は年間2000円ですから、あと200円です」
「使い残されたら、来年、予算を削られますよ」

そう。しかし住吉団子のイチゴ大福にこだわると、予算は消化できないのではないか。
良い日は来るもので、苦悩には及ばず、あっさり住吉団子でイチゴ大福を購入する機会を得た。
一個180円。
3個540円のところを、私が最後の客で、270円にしてくれた。

器は木村展之
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# by coppoumon | 2005-12-20 23:55 | 和菓子 | Comments(6)
2005年 12月 17日

あんまりや

郷里にはいたるところにキリシタンの遺跡がある。
しかし、今までの郷土家にクリスチャンがいないので、彼らに、キリシタン遺跡は一切無いと言い切られて、教育委員会は耳を貸してくれない。

それは、逆に幸いなこと、遺跡がずっとこのまま手垢にまみれないでいる事が、一番良いことなのかもしれないとも思う一方で、捨て墓になったキリシタン墓が、石ころ同然に転がしてあったのを見ると、さすがに心が痛んだ。

外から、こられた方達によって、手付かずに、遺跡があることが、少しずつ明らかになってくる。

これはそのひとつ。

南の端の集落のはずれに地蔵として祭ってあったものを、お寺さんによって、粗末にならないようにと、門前に移されたマリア様。
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申年にお猿さんの顔を撮りにいけなかったので、この猿顔マリアさんに猿の代りになってもらい年賀状にした。。
猿が身代わりになるのは庚申さんだよ、と言われそうだが、関東でも庚申様に、キリシタンの人たちがマリア様や十字架を隠して彫っていることがある。


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これは、近しい人から私に伝えられたマリア観音。
もちろん教育委員会などに見せたことも無いし、この先見せる気にもならない。
人目に触れなかったからこそ、こうやって350年を生きてきたのだ。

乳香を入れておく小箱は残っているが没薬を入れる小瓶は既に失われていた。海の星といわれるマリアは、悪魔の化身といわれる、5つの爪を持つ龍をおさえ、大天使ミカエルと大天使ガブリエルを従える。

肩まですっぽりと覆うヴェールを被り、首にロザリオをかけ蓮台に乗ったマリアは、イエスを抱いて、イエスは蓮の蕾の王笏を持っている。

蓮台の蓮は、実際に蓮に見せかけた棕櫚の葉だといわれている。

後ろの腰の部分には観音さまではない文字が、複雑に組み合わされているがこれはマル秘。


姫路市のパン・オーブルワレ神父が長年コレクションしていたキリシタン遺物の中にあった子安観音の一つに、全く同じものがあった。
神父は病気と、高齢により、ベルギーに帰られた。

一度、実物を拝見したく、問い合わせをしたが、これらのコレクションは、どこに持ち去られたか現在は全く分からないという返事だった。

人の手が入る、ということはこういうことなんだと、常に覚醒していなくてはならないようだ。

もうすぐクリスマス。
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# by coppoumon | 2005-12-17 22:18 | 郷里 | Comments(4)
2005年 12月 16日

心残り

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淀屋橋界隈、特に淀屋の小路のある御堂筋の西側を好きだった。

一流の商社や銀行の建物に混じって古い小さなビルが個人の持ち物だったり、仕舞屋(しもたや)が瓦をならべていたり、そこで生活している人たちがいて、たまに小学生が仕舞屋のたこ焼きを買っていたりするのを見かけた。
更に西へ浪速筋を渡るとどっと、人たちの生活の匂いが濃くなるが、まだ横堀にも人たちの生活を感じることが出来た。

愛日小学校が閉校になってかなり時間が経過した。
構内の細部までアール・デコのこの学校は一度だけ学生の頃、入ったことがある。
演奏者だけで1000人といわれるマーラーの八番シンフォニーをやることになり、私たちも授業の一環として合唱に駆り出されたのだ。

ゲルハルト・ヒッシュが丁度来日していて、ソリストの指導をし、私たちのコーラスを聞いた後で「音楽に一番必須なものはシャルムだ」とかドイツ語で言われたことを思い出す。
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そのころから、やがて愛日小学校は閉校になるだろうとかいう話は出ていた。
こんなお洒落な学校で、学んだ小学生を、羨むと同時に、建物は人格を形成するというのは本当だと思った。

ヴォーリズ設計事務所の所長さんだった「Ⅰ」さんは終戦直後、関学の中等部に入学し、トイレにいった時に、如何にその建物が子供達を大切に思って設計されているかと、しみじみ思った、と述懐された。

この愛日小学校も、ユマニテにあふれている。

ところで、来春4月にはこの建物は消えて、更地になる。
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# by coppoumon | 2005-12-16 22:23 | 大阪 | Comments(0)
2005年 12月 14日

美味しいもの(その一)

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冷蔵庫に入っているジャム三種。
左からプルーン。紅玉。洋梨。

プルーンは1974年のカンテナックの赤ワインを加えた。そのためワインの美味しさにプルーンが負けてしまったようだ。
それはそれでよい。美味しいのだから。

紅玉はレモンと三温糖。同じく洋梨もレモンと三温糖。
シンプルで、元の果実の味と香りとを残している。
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# by coppoumon | 2005-12-14 23:46 | ジャム | Comments(0)
2005年 12月 13日

木枯らし2号

e0036151_7575246.jpg木枯らし2号が吹き荒れている。ダイニングの大きな窓は予め強風を予想してごついサッシュが入れてあるがそれでも風の音が聞こえてくる。
漫才の天才児といわれていた横山やすしが、民放のステージでは、ギャグで「立山サッシ」を連呼していたが、その、立山サッシである。
時々「新生立山サッシ」とかいた建具屋のトラックが走っているので、一度は傾いたのだろうか。
そんなことを、ふと考えながら、今年最後になるであろう洋梨のジャムを作った。



e0036151_758347.jpg赤ちゃんのいるお家に差し上げるので、レモンと少しの砂糖を加えたシンプルなヴァージョン。12月になっても仕事先のひまわりが咲き続けている。雪にさえあわなければ何時までも咲き続けるようだ。
何かの演出家の文章で、舞台上のひまわりに雪が降りかかるのを、小ばかにしたのがあったが、私はここのひまわりに雪が積もりかけると、お正月気分になる。
今日は木枯らしに大きく揺らぐのを、蕾の有無を確認してから



e0036151_759076.jpg面白いくらい強く風が吹く中を急ぎ足で帰って来た。
お稽古に来るお弟子さんたちのために、チョコレートを出しておき、帰り際に
一つ口に入れて、溶けて無くならない間に家に着きますように、とすすめると大人の方は、お酒が入っていそうなものを、子どもたちは甘そうなものから賑やかに品定めをする。

これだけが優先されずに残った。

木枯らしの日の風景である。
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# by coppoumon | 2005-12-13 08:21 | Comments(2)
2005年 12月 10日

思い残し

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少し年上の近所の友人が定年をまたずに退職し、北浜に事務所をかまえたというので、夕方訪ねていくと、留守だった。
すぐに引き返してくるというので、その間ちょっと散歩をした。

写真は八木通商である。

なんだか、見通しがよくなって、やけに明るくなったなあ、と思うと、そうだ、お向かいの鴻池ビルディング、後の三和銀行の本店が消滅してしまっているのだ。
その広い跡地が駐車場になっていて、地上で見る限り味気ないこと甚だしい。

後で友人のオフィスから跡地のあるあたりを見てみると、ビル群の中で空き地になったがゆえに光のスクエアが出来上がっていて、これが悪くない。

大中証券ビルも代替わりしてレストランとして使用されているようで、その南側のヴォーリズの設計した教会が、健在だった。
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今年は京都のヴォーリズ設計の私邸にヴォランティアに行こうと計画していたが、なかなか思い通りに時間が取れなかった。
来年こそは、と、元旦の計に入れておかなければいけない。



ヤシカエレクトロ35、レンズはヤシノン45m、f1,7
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# by coppoumon | 2005-12-10 19:10 | ヴォーリズ | Comments(0)
2005年 12月 06日

ゴンタの夜

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16年前だろうか。二枚、二倍という某関取のCMが放映されていた。
それが、次には歌に替わっていた。

つまりその・・おまえがいないと・・夜が始まらないのさ・・星も妬いてる二人の暮らし・・ごめんね今日は・・・

大きなオフィスビルの夜景と、巧みなタンゴの節回しにいつも感心して見入っていた。

週刊新潮に、そのコマーシャルの歌のことが、あの銀パリが帰ってきたよう・・と載せられていた。
私は不幸にして銀座の六丁目にあったという「銀パリ」を知らない。

近頃正式なタンゴを、受身の形で聴くことがない。50年代から60年代にかけて全盛期だったタンゴが衰退したのは、歌詞に原因があるのだそうだ。
どれをとっても、花よ、星よ、涙よ、去りし君よ、我が恋よ。と、中身がほとんどお決まりの文句で叶わぬ恋を歌ったものだから、それで飽きられたのだとは、タンゴを歌う歌手の弁だ。

タンゴは歌うにも演奏するにも、技巧の必要な名人芸なのだ。
原因は歌詞だけではなく、余りの名人芸ゆえに大衆からかけ離れたものになった、ということではないのだろうか。
ただし、愛好家は多く専門雑誌まで月刊で発行されていて嬉しい。

母はタンゴを踊れるといい、父は踊れないという。

それが、傍で見ているだけでもこの男は、私の知らないはずのところで、女の人にはずいぶんと踊らされていた。

踊るのも名人芸なのだそうだ。では、父の踊りはかなりの練達だったに違いない。

大阪の入江橋で見た、この冬の初めの空は、ドイツ生まれの「夜のタンゴ」という古い名曲にぴったりの美しさだった。

紫の夜の帳に きらめく星よ 我が涙よ 
燃え尽きた 恋の骸と 今宵もまた 踊るタンゴよ

諦めて 帰した後の 酒の苦さよ タバコの煙よ
ああ 哀れな 恋に疲れて うらぶれ果てし 我が姿よ      夜のタンゴ~美輪明宏訳


こんなアーバンな恋には、こんな景色がやはり、良く似合うのかなあ。

しかし、この訳詩は、

気強く諦め帰した夜は 飲んだわ 酔ったわ 踊ったわ
会わなきゃ良かった今夜のあなた これが苦労の初めでせうか  芸者ワルツより~西条八十


美輪氏が芸者ワルツで育った世代故の事なのだろうか、どことなくエコーが感じられないではないが、
古今東西、踊らされることは皆同じなのかもしれない。


初冬の宵を、人の想いに全く無関心に、空は紺と朱鷺色を染め分けている。

古いレコードはタイトルを右から左に読む。だからゴンタの夜なんだ。







カメラはコンタックスT-2
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# by coppoumon | 2005-12-06 23:42 | 大阪 | Comments(4)
2005年 12月 03日

国元

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郷里にお見舞いと季節の挨拶をかねて、関西の食べ物を箱に詰めて送る。
10月末の予定が私が風邪を引き、折々に買い揃えていた中のものを退屈しのぎにすこしずつ食べてしまった都合で慌てて揃えなおすと、11月末になってしまった。
郷里も、短期の入院のはずが長引いて、丁度退院してこられたところだった。

今回は、麩太の焼き麩、サン・クゼールの甘みのない親指ほどのクッキー、じんとらの干菓子、石川県の月読み山路(栗蒸し羊羹)、ちりめん山椒と葉唐辛子の佃煮、石野の白味噌、上七軒・萬春のドミグラスソース、六角形の京飴二種、天津甘栗、ベルギーのチョコレート、コーヒー豆。

夫妻で和洋と嗜好が違うので、どんなものも喜ばれる。
変化の無い島の暮らしには、珍しいものばかりで無聊を慰められる、と。
「いつも、今度はどんなものが入っているだろうと、楽しみにしておるのでございます」と電話の声がはずんでいる。

静かな、穏やかな暮らしをなさっておられて、憧れるが、本来は滋賀、近江の出身で、儒学者を抱えたい藩主の意向で、ご先祖が元禄の初めに長崎に移っていかれたのだ。

参勤交代の折に、長浜で旧家臣が20人ほど会いに来られて、殿様が慌てて場所を提供したと、国元の日記にある。

私の前世はどうも儒学家のところに出入りしていたような気がしてならない。
大阪にあった国元の藩邸は、この間まで味の素のビルになっていたが、更地になって、マンションが姿を現した。
藩邸の間取り図を見たことはあるが、このマンションの立つ場所には何の面影も無い。


カメラはヤシカエレクトロ35 レンズはヤシノン45mm
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# by coppoumon | 2005-12-03 22:26 | 郷里 | Comments(0)
2005年 12月 02日

終わりの紅葉

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京都から西宮方面に通じる西国街道を下りて、大山崎から男山への渡しを上がると奈良街道が始まる。
このあたりは鳥羽伏見の戦で随分焼けたそうだが、ういろう屋は焼けずに残っていたのを近年建て替えてしまった。
奈良街道を歩くとまだまだ、鳥羽伏見の戦の直後に建てられた家並みが残ってはいるが、所々それも怪しくなってきつつある。
駅に近いところでは、ほとんど消滅した町屋が、駅を離れると少しずつ出現する。
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高良神社の近くで見かけた楓。徒然草の、「これもまた仁和寺の法師」にでてくる高良神社は現在はささやかな拝殿と本殿を残すだけだが、元は法師が見間違えるのも納得がいくほどの立派な神社であったという。
たぶの老木が、注連縄を張られて健在である。果たして老木は、700年前に法師を見ただろうか。
年賀状にするために、高良神社の狛犬を撮影に出かけて、そんな事を考えた。

見納めの紅葉になってしまった。

レンズはマクロズイター
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# by coppoumon | 2005-12-02 21:21 | 京都 | Comments(5)