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のんびりいこうよ

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2025年 06月 14日

 郷里で・戻ってきた仏像

13年まえだったか韓国の窃盗団によって失われていた仏像が戻ってきた。

 郷里で・戻ってきた仏像_e0036151_22234243.jpg
百済仏は、対馬の旧家の仏壇で見かけることもある、というが、我が家はお仏壇がなかったので、まったく仏像とは縁がなかった。
今回の返還や経緯についても思うところはあるが、ま、いい。

美しい仏様だった。
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収納物は別にしてあったので、盗難を免れていたのだそうだ。

秋に、また公開を予定しているのだそうだ。


夜は友人宅で茶会をした。

賑やかな茶会だった。
私が持参した「朝鮮焼」と箱書きのある立鶴茶碗で、初めは8人、二度目は5人の方に友人がお茶を差し上げた。

今回その画像はない。





# by coppoumon | 2025-06-14 22:30 | Comments(2)
2025年 06月 14日

対馬で 友人宅その2

友人宅は濃厚に武家の生活空間が残っていた。

そんなことをいろいろ思い出しながら、敷地と道路の境目で見かけた陶片を拾った。

対馬で 友人宅その2_e0036151_22043891.jpg
古伊万里の染付。
濁手の蛸唐草。
印判手の茶わんと思われるかけら。

座敷に敷かれていた鍋島段通の藍色を思い出して、しばらく佇んでいたが、何がどうなったか、後手後手になってしまった。




# by coppoumon | 2025-06-14 22:13 | 郷里 | Comments(0)
2025年 06月 11日

対馬で・ 友人宅

対馬で・ 友人宅_e0036151_10055036.jpg
友人は3兄弟。
生まれ育った家を離れてそれぞれが関東で暮らし、50年経過したのち、もう、誰も住まう可能性がない、ということで断腸の思いで家を手放すことにしたという。
3月まではあるけど、5月の連休には、もう、屋敷はないよ。という。

買ってくれた人は、門と石垣は残します。と言ったのだそうだ。
その通りにのこっていはいた。

750年続いたお家だ。
幼いころからよく遊んだこのお宅が無くなるとは思っていなかった。友人もそう思っていたのだそうだ。
しかし、この先、自分の子供には大切なことを伝えてはあっても、孫の代まで押し付けるわけにもいかない。という。

元寇のとき、この家のものが殿様に加勢に行ったでしょう。で、私の知った人じゃないのに、授業で元寇のはなしになると、私のほうを見る。いやだったなあ。

そうなんだろうなあ。

広い屋敷だったので、遊ぶことに不自由しなかった。
また、たくさんの人がこの門をくぐるといいなあ。

想い出が多すぎて、よけいに、何も書けない。



# by coppoumon | 2025-06-11 08:36 | Comments(2)
2025年 05月 28日

郷里にて・・・志賀の荒雄どん

道路の拡張と共に荒れていた荒雄どんが、整備されていた。
整備といえば聞こえが良いのだが、狭くなって、様子が変わっている。

郷里にて・・・志賀の荒雄どん_e0036151_14474128.jpg
祠の後ろがわの石垣が道路拡張で、ひっこめられて、楠木の後ろにあった祠が、前に移動したようだ。
鳥居の礎石が残っているが、鳥居は解体されて画像退左手の見えない部分に積まれていた。
元の形に戻す気はないようだ。

踏むことを忌諱とした石がコンクリート柱に囲われている。
もうちょっとなんかならなかったのだろうか。
郷里にて・・・志賀の荒雄どん_e0036151_14480336.jpg
荒雄の墓と、私は聞いていたこの場所は、町のものではなくて所有は八幡神社なのだそうだ。

防人が駐在した対馬にはあちこちに、万葉集にも載せられた歌が読まれた場所がある。




# by coppoumon | 2025-05-28 14:54 | Comments(0)
2025年 05月 24日

郷里にて 江崎の足軽長屋

わが家の川向うに関西でいう二戸一(にこいち)の住宅があった。
間取りはシンメトリーで、一戸当たり2間幅より少し広め。
記憶する限り、西側の家は玄関が一坪で、玄関左が3畳、奥に6畳。縁側があって、右が便所、左はお勝手。庭の向こうに石垣塀。
右側の家も入って右側が3畳、あとは同じ造り。
3畳間というのは母が言っていたことで、子供の私にはもう少し広いような気がした。それは、玄関横の、「がったり」という撥ねあげ式の縁側があったからかもしれない。

訪ねていくと見事に更地になっていた。

郷里にて 江崎の足軽長屋_e0036151_22413509.jpg
突き当りの石垣の記憶はある。

隣家の人がこの3月に解体した、と話してくれた。

江崎の足軽長屋・・と言われていた建物ですよね。というと、それは知らない、という。
越してきて20年になるという老婦人は82歳なのだそうだ。

頭の中で一つ、私の江戸時代の記録が消えた。





# by coppoumon | 2025-05-24 22:56 | Comments(2)