2011年 10月 16日
国許に帰るにはあまりに遠く、京都で故郷の匂いを探すことのほうが簡単なので、今回も人の出の少ない日を狙い、同郷の後輩を誘った。 場所は堀川通り寺之内上る。 せっかくだからと、裏千家の茶道会館で肥後松井家のコレクションを拝見。 八代城主であり、細川家の家臣・・家臣と言うべきか一族というべきか、熊本には城が2つあり、一国二城それぞれが、素晴らしいコレクションを有している。 茶が絡めば、国許の殿様も関わっているはずだから、必ず対馬の匂いに与れるだろう、という読みはあたった。 千利休、細川忠興の消息文に見とれる。それからさらに「がらちあ」の文字に釘付けになる。 がらちあは、細川ガラシャのこと。 対馬にゆかりのあるものは、朝鮮時代の水差2つ、朝鮮茶碗、茂三茶碗など7椀。 他にキリシタンと言われている古田織部の消息7通に夢中になる。 会期中、陳列変えがあるというので、もう一度行きたい。 さて、気分はすっかり江戸時代。 堀川通寺之内をあがったところにある、宝鏡寺。 宗義成公は京都に来ると宝鏡寺に滞在した。 寛永5年、1628年10月12日、小堀遠州宅を訪問したが不在のため会えず。 寛永10年、1633年10月13日、義成公、遠州茶会に日野資勝と参席。 承応3年、1654年4月14日、狩野探幽邸で振舞いがあり、宗義成、義真親子、井上筑後守、佐藤外記が参席。 殿様親子はここ、宝鏡寺に宿泊していたので、この車寄せから出入りされたのだろう。 井上筑後守、佐藤外記は、どこで待ち合わせをしたのか、それぞれが探幽邸ヘ別々に出かけたのか。 しかしまあ、なんという組み合わせだろう。 井上筑後守は元キリシタンで、後にキリシタン取締奉行をやった人物。 佐藤外記は、国許の御家騒動のあと、対馬藩家老一族郎党が流された津軽藩のお隣の、南部藩に関わりのあった人物。 宗義成公も一筋縄ではない人物だったような気がしてくる。 宝鏡寺の門をくぐると左手は外腰掛。 庫裡の玄関、車寄せ。 対馬の古文書に枡形を上がった金石館の城門の前には、石垣に沿って外腰掛があったことが記されていたことを思い出した。 廃藩置県後。50年ほど過ぎてとられたこの写真の時代、この土地と建物は殿様の個人所有物だったが、殿様は東京へ移り閉じられたまま。
by coppoumon
| 2011-10-16 23:34
| 京都
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