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2018年 06月 03日

長崎への旅 その6 島原の城下

石垣に挟まれたの幅二間ほどの道路のまん中に小さな水路が流れているモノクロの写真を、小学生のころに見た。
寸分違わないその光景は、懐かしさがある。
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島原の乱以後、人口が減ってしまった島原藩に幕府は、一藩あたり、18人を島原に移動させる命令を出した。
そのとき、対馬藩からは350人ほどが移動していった。

その理由をまことしやかに言う郷土史家がいたが、本当のところはわからない。
この街には、対馬をルーツに持つ人が、いるのだなあ・・という気で街を眺めた。

和菓子屋には「かすまき」が売られていた。
これは、対馬の殿様が、関ヶ原の乱以後、家康公に会って、参勤交代の取り決めをして、初めて出かけ、無事に帰ってきたことを祝って配られたお菓子、と伝わっている。

島原で見たものも形、大きさが同じであった。
チェリー豆本舗の「かす巻」は別物である。

保存された武家屋敷は、20石以下の侍たちの住まいであったようだ。
曲がり屋で、藁ぶき屋根の武家屋敷。佐賀でも同じような形式の武家屋敷を見た。
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対馬では、度重なる火災で、藁ぶき屋根を禁止して、瓦葺きであった。
文化年間、幕府の巡検使が来て、対馬藩は小藩のわりに、結構な屋敷構えで・・と感想を漏らすと、たびたび、朝鮮からの使いがあるので、常に外構えを立派にしておかねばならないが、いたって質素な暮らしをしている、と答えている。









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by coppoumon | 2018-06-03 23:56 | 行った | Comments(0)


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