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2018年 06月 06日

長崎への旅 その7 島原・四明荘

かんざらしを楽しんだ。かんざらしはこれ以上大きくても、小さくてもよくない、というほどの大きさ。たとえは悪いが、パチンコ玉よりは大きい。
蜜も、おいしい。ここでは番茶が添えられた。
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番茶もおいしい。
魚の干物を食べた後に、この番茶を飲んで、口の中をすっきりさせる・・そういうイメージを持った。

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リアルに、島原城の存在を思う建物があった。


そのあと、明治の末、某家の別邸として建てられ、奨は初期に禅僧を招いてつくられた庭園をもつ「四明荘」を拝観。
40坪のお宅に、20人ほどが常時出入りをしている感じだったが、座敷に上がると緑茶を出してくださる。

建物の南側が大きな池。
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たくさんの人が見学に出入りするので、写真はなかなか撮れない。

東側にも四角い池があり花ショウブがみごろだった。
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このあと、諫早から長崎へ、雲仙をぐるっと一周のドライヴの後半を楽しむ。

諫早は長崎県に組み入れられたが、鍋島藩で、その北側に鹿島というところがある。

鹿島の浜から、朝鮮に向けて船が出た・・という言い伝えを、「なぜに」と、いぶかしく思っていたが、対馬藩が、佐賀の田代の領地から、筑後川を下って、湾に出て、外海、平戸、壱岐、対馬と船で年貢米を運んんでいたことを思うと、納得がいった。

米を積んだ廻船は、藩所有ではなくて、借り船だったそうだ。

風力と人力の時代を偲んでみた。

今回、旅行の希望のひとつは、佐賀から雲仙を回って外海に出て、対馬に至る、という江戸期の年貢米の航跡を空から確認したい、ということだった。

それを、雲仙一週で、もっとみじかなものとして捉えることができて、大変嬉しい。

島原の乱で、対馬から移住した350余の人たちは、田代から対馬への年貢船を毎年、見続けただろう。島原を、遠く離れた異郷とは、思っていなかったかもしれない。


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by coppoumon | 2018-06-06 15:26 | 行った | Comments(0)


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