2006年 06月 01日
小泉八雲が夏に過ごした根岸の魚屋の二階。明治村の建物群のなかにも八雲ゆかりの家があった。 明治村では建物だけが移築されているので建物回りの環境は想像ができないが、この八雲邸は八雲が起居し執筆し、寛いだ空間そのものが保存されている。 この座敷で「忘れざる日本の面影」が執筆されたとある。 私は高校に入る頃、それを文庫本で読んだ記憶があるが、その頃の自宅の縁側とか、自分の机だとかを思い出すだけで、読んだ本の印象は薄れてしまっている。 良く手入れされた庭。いろんな植物が植えられて華やかだ。 石組があって、それがアレゴリカルな意味合いを持つなどといった、凝った庭ではない。 元は武家屋敷だったというが、かなり明治期に数奇屋風に意匠を加えられているようだ。 この池は明治元年の造作と説明があったが、狭い中にに非常に上質な空間を作り上げている。
by coppoumon
| 2006-06-01 22:32
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Comments(2)
日本の木造建築の美しさと丈夫さは世界的にも認められたものですよね。
特に昔の建築物は損得を土返ししてでも大工仕事の匠が技を競いあうように立派なものを作り上げていたように思います。 取り合えず住めたらいいから鉄筋の本数を減らして…などと言うどこぞの建築屋さんとはえらい違いですね (`ε´) やっぱり僕は数寄屋作りがすきや〜 (*^o^*)
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coppoumon at 2006-06-02 08:05
とらさん。
心斎橋のそごうデパートが、以前御堂筋を西に入ったところに、数奇屋造りのすきやきやを持っていたのは知ってますか。 玄関には団体様ご歓迎と書いてあって、二階の窓には凝宝珠のついた欄干、ミナミの播重にも匹敵するほどの立派な店構えでした。 数奇屋造りのお店ですき焼き食べるの、好きや~~!! しかし、柱も天井も牛の脂と匂いと、醤油や味醂のにおいが染み付いているんだろうなあ。 あれからそごうは破綻して、あの店はどうなったでしょうか。 |
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