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2006年 07月 14日

仁位・対馬へ(5)

三根を辞す時に、仁位を回るという事になった。
対馬は元来一つの島であったが、戦前、海軍により大規模な掘削が行われ上下に別れたのである。
仁位にいこうとすれば、下島の樽ヶ浜(たるがはま)まで行き、渡海船で対岸の港に行くという方法が一番確実とされていた。まず、日帰りは望めない地域であった。
「それがね、今じゃ何のことは無い、車で走れば直ぐ其処タイ」と案内人は申される。

高校生の時の秀才が、仁位の出身だった。ずっと一番と二番を争っていたが、二番手はどうしても一番を超えられなかった。
仁位というとそんな二人の秀才の思い出がある。
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厳原で開業医をなさっておられた方が、仁位で隠居されておられるという事だったが、深く静かな家並みからは人の気配が伺えない。お留守のようだ。
後にその父上も医師であったと知らされた。学校の先生にも仁位先生がおられた。

ここには郷士が10家ほどあった。
その1軒のお宅の前を通ると、手水鉢が見えたのでシャッターを切った。
厳原でもそうだったように、門の内側のこの手水鉢は馬をもてなすためのものであったに違いない。
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大阪では専門書をあつかう馴染みの本屋に仁位さんと言う方がいた。
仁位さん、九州ですか? とたずねると、ええ、佐賀(さが)です、という。
ああ、じゃあ、田代の方でしょう、というと、目を丸くしていた。田代は対馬藩の領地だったのだ。
田代は対馬藩の交易でもたらす薬種で寄応丸を製造し、辺りいったいは薬街道とよばれた。
田代の仁位さんは、対馬の仁位を知っているのだろうか。

by coppoumon | 2006-07-14 23:48 | 郷里 | Comments(2)
Commented by とらさん at 2006-07-15 00:09 x
えっ?対馬が2つの島に分かれたのは人工的なもの?

知らなかったぁ( ̄○ ̄;)
Commented by coppoumon at 2006-07-15 07:44
軍艦のためには、島も二つに分けます。はい。
他に船越という地名の場所が2箇所あります。
陸に上げて対岸に船を運ぶことが出来る場所だったようです。


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