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カテゴリ:郷里( 56 )


2007年 05月 22日

唄入り観音経

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対馬からのお土産が届く。

お土産、この言葉には、よわい。

これは、私が一番初めに覚えた日本語でもあるらしい。

ひと~つ、唄ってやるからに、泣かずにねんねするんだぜ。
坊やの母さんどこいった。あの山越えて里越えて・・・

デンデン太鼓に笙の笛、鳴るか鳴らぬか吹いてみな。
いい子だいい子だ、お宝だ。

断片的に覚えている、父が私に唄っていたこの歌の詞はなんだろう、と母に聞くと、
それは、唄入り観音経といって、私が生まれた頃の、父の十八番だ、というのだ。
父の歌は下手の横好きで、微妙に音程がずれていた。
唄入り観音経は浪曲。

デンデン太鼓や、笙の笛はお土産だったのだ。
生後、すぐにこういう歌を聞いて育ったのかと思うと、可笑しい。

たまに手土産を下げて帰宅する父を待った。
手土産・・・親しい人からいただくのは本当に嬉しい。

by coppoumon | 2007-05-22 22:49 | 郷里 | Comments(0)
2007年 05月 19日

桟橋

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桟橋というのは浮いているものなのだそうだ。
しかし、名前だけが残った桟橋は、コンクリートだった。
船が入ってくるのは夕方だから、それまでは桟橋は遊び場で、
小鯵を釣る場所だった。

小さなフグやボラが泳ぎ回っていた桟橋。

ホーバークラフトに乗るまでの時間つぶしにのんびり話している旅行者たちの表情は、
すでに島の人たちと同じような人のよさが、滲んでいる。

子供の頃はここで、海上保安部のCP船を見たり、船で働く友人の父上に声を掛けられたりしながら、日が暮れるまで遊んだのだ。

町全体が子供の遊び場だった頃。

by coppoumon | 2007-05-19 22:38 | 郷里 | Comments(0)
2007年 05月 19日

一期一会

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郷里の教会でソプラノさんと演奏会をした。
ピアノとリードオルガンを私が担当。

歌う曲目は予めソプラノさんがリクエストを募ってあり、大体1910年ごろの有名な歌ばかりだったので、同じ頃作曲されたピアノ曲をちりばめて、ストーリーを作った。

面白い流れのプログラムだった。好評だった。

幼馴染たち。さかなやのおばちゃん。初対面なのに、共通の知人だらけの人。
出会う人も一期一会。出した瞬間に消える音たちも一期一会。

翌日、日曜日の朝は見事に晴れて、イースターの朝のミサを思わせるような天気。

ここにイギリス風の教会堂が建っていたことを覚えている人は少なくなったが、旧礼拝堂の調度品は今も健在だ。

by coppoumon | 2007-05-19 08:25 | 郷里 | Comments(2)
2007年 05月 17日

レンガ塀

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レンガには紅白があるものだと、子供心に信じていた。
白いレンガが対馬特有のものだと知ったのは最近のことだ。

白いレンガには耐水性があるといっていた親の説明はどこまでが本当だったのだろうか。

今でも家屋の袖壁に使われているのが良く残っているが、こうやって、家が解けて、出現した空き地に見るレンガの壁はそれぞれの土地の所有者のセンスで使い方を分けていたのかもしれない。

この島のどこにレンガ工場があったのだろう。
今頃になって、材料や製造方法が気になってきた。

大正、昭和の始めに町並みを形成した熊中棟梁の普請した家がまだたくさん現存していて、白い大きなレンガの壁を見せている。

by coppoumon | 2007-05-17 14:04 | 郷里 | Comments(2)
2007年 05月 15日

鍛冶屋の小路

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幼稚園に行くか行かないかの頃、この道は遊び場だった。
母が親しくしていたこの鍛冶屋さんの突き当りを左右に曲がって意外な場所に出るのが面白かった。左に曲がれば浜の小路、右へ曲がると大町。

今回訪れると、鍛冶屋のお向かいが建物の半分を解いてしまい、スクエアが出現して、江戸時代に火切りと呼ばれていた防火塀がはっきりと分かる。
火が出ると浜風に煽られて、大惨事になることから背の高い石垣を作って類焼を防いだ。

小学一年生の夏休み。
右に曲がったところのお宅の塀に朝顔がたくさん植えてあった。何にも物音のしない路地で飽きもせず朝顔を眺めていた。
小学二年の夏には朝顔が植わっていないことをがっかりした。

さて、我が家も今年、またまた朝顔を植えて、朝顔日記を始めよう。

by coppoumon | 2007-05-15 23:15 | 郷里 | Comments(2)
2007年 05月 15日

郷里で

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山奥の里で加瀬という姓の方が多いことに気づいた。明治になって姓を名乗れたというが、対馬の場合は、さっぱりわからない。

幕末まで5軒の郷士が居住して、この石版はそのうちの一人が寄進したもの。
満願成就のお礼が銘に彫られていた。
それも薄くなってきて判読がつかなくなる日が来ることを思う。
寄進したN家の前を通ると、空き家で古い建物だったはずが分筆されて新しい家が2軒出現していた。

さて、この像はきちんと三脚を立ててしっかり撮らないと、細かいところが難しい。
この男性像は足が外向けに描かれているのが西洋くさい。

衣がエンゼルの羽の形をして、足元に波を表す鱗模様が彫られ、右手の宝杖には十字架と舟が書かれて、周りから光が射している。
この石版を寄進した人はどのような願掛けをしたのだろう。

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こちらで勝手に、波の上を渡るパオラの聖フランシスコと名づけようか・・。

大石家を訪ねる。
宝暦四年7月召しだされる、という記録のある大石家。
家主には会えず、家は荒れはじめている。

by coppoumon | 2007-05-15 07:57 | 郷里 | Comments(2)
2007年 04月 02日

はきだめ

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桐箱。

何か上等のものが入っているような気がする桐の箱。
杉箱だと、羊羹とか、素麺などの、食べるものが入っていた。

道具類を入れるのには、関西は、樅の材を使い、桐の箱はもともと使わないのだそうだ。
関東は道具類に桐の箱を使い関西でもこのごろ、桐の箱を良く見る。

箱にする桐材は大まかに3種類あるのだそうだ。
廉いほうから、中国産、アメリカ産、国産。

汚い触りたくない箱があり、板目の桐の箱に立鶴茶碗と書いてある。
意を決してあけてみることにした。
少しいびつな、というより、真円から程遠い筒茶碗が出てきて、素朴な鶴が象嵌で描かれて、割高台は3箇所。
それぞれ、微妙に割り方が違えてある。

掃き溜めに鶴なんだろうなあ。

by coppoumon | 2007-04-02 13:22 | 郷里 | Comments(5)
2007年 03月 22日

春分の頃

平戸や五島の方では、春分の頃に、奥深く仕舞ってあったマリヤ様を盥に入れて洗うという。
わが家のマリア様は洗った痕が無い。
マリヤ様には中央よりに5センチ近くニュウが入っていて、熱い湯だと、割れてしまいそうな気がするので、水にもつけないのだが、柔らかい布に包んで箱にでも入れておいたほうが良いのでは無いだろうか。
しかし、娑婆が見たい・・というマリアの声が聞こえてくるような気がしてならないので、玄関で招きネコの代わりを務めてもらっている。

今日は、昼間、良い天気だった。

そうだ、マリア様は無理としても、久々に古い焼き物を水にくぐらせておこう。37度の微温湯なら焼き物もびっくりしないだろう。
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洗って水気を切って、1週間したら、また箱の中に戻っていく焼き物たち。
わが家にある限りお茶事の出番がなくて申し訳ない。

この1週間、地震が来ませんように、と願う。

by coppoumon | 2007-03-22 21:06 | 郷里 | Comments(6)
2006年 10月 15日

忍法

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45年ぶりにお伺いしたお屋敷の知人は皆、天に召されていて、娘でございます、とおっしゃる老ご夫妻が住まわれていた。
せっかくだから、上がってお茶でも、と仰るのを常ならご辞退して失礼するのだが、あまりにも昔の記憶のままのお屋敷だったので、お言葉に甘えた。

私は5歳だったのだ。

いとこたちの誰かに連れられて伺った先々の中で何かとご縁のあったおうちなのだ。

門の前には赤と、黄色の桜があったのでございますが、それもいつの間にか枯れ、表門も中門も台風で壊れてしまったのでございます。
建物も古くなりお恥ずかしいような住まいになってしまいました。
はい、池はそのままでございます。
はい、山から竹を二つに割って作った樋で、水を引きまして、皆さんお茶などを点てておられました。
はい、裏の山には柿や栗や畑であわせて4000坪ございました。
はい、一度も枯れたことの無い井戸が家の下にございました。
よう、おぼえておられますですね。

このような会話から7年が過ぎ、年毎に必ず季節のご挨拶を欠かさないようにしている。

年に一度は入退院なさるのを、存らえば、何かとこの先お煩わしい事ではございましょうが、と、京都の便りが、一番楽しみと仰る。

私もここの御宅があるからこそ、忘れかけていたはずの幼い頃の思い出が克明に残っているし、思い出すことの出来る場所でも在るのだ。

このお屋敷のお向かいは同級生の家があったが、今は5段ほど上がる石段だけが面影を残している。

同級生の家を見ることは出来たが、同級生の家から、このお屋敷は全く見ることが出来ない。
ゼ○リンの住宅地図というのが作られたが、このお屋敷は掲載されていないのだ。

ご先祖は、軍術家。私の大切な場所。

by coppoumon | 2006-10-15 23:49 | 郷里 | Comments(2)
2006年 09月 08日

アイゴ・チョケタ~

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アイゴ・チョケタ~(ああ、こまった)
こんな言葉を知っているのは対馬で育ったからである。なんと、この地図で見る限り対馬は日本の領土を離れてしまっていた。

いまだ嘗て対馬が、あの半島の領土になったはずはないと思うし、1200年前のことなら現在子孫として残っている人もたくさんいるし、墓もある。
いつからこうなったのだろう。

しかし、半島にすごく近い地図だなあ、関門海峡並みだ。

一番近いところは佐護という地名の町だ。
戦前、午後になると、山から吹き降ろす風を合図に、自家用の船で釜山に、歯の治療に通ったという古老の話が、納得がいく。

すぐ対岸に釜山の街が見えるというが、一度、韓国が見えるという千俵蒔山に登った時には全く見ることが出来なかった。

私は対馬の九州側の町にいて、壱岐や筑紫の山々をはるかに望んだことがあるので、そのようには韓国が見えるのだろうと、その山で想像した。

この夏、佐護を訪れた時、あたり一面田んぼだった。
その中の湊という集落を歩き元禄十三年、卍為・・・神男 ・・神女と刻まれた墓碑をみて、非常に感激した。
卍は十字のこと、キリストのため、という隠れキリシタンの墓碑なのだ。
その数時間前には、別のところで、石版に線刻された波の上を渡るキリストがお地蔵様然として祀られていた。

そんな事は誰も知らない。

地図は沖縄県地域・離島課が作成したもの。2004年から使用していたという、うちなんちゅーはおおらかだ。

対馬は面白い。

by coppoumon | 2006-09-08 21:26 | 郷里 | Comments(6)