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のんびりいこうよ

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2016年 09月 15日

9月15日の十五夜

晴れるのか・・と外にでて見上げると、オレンジ色がかった笠をかぶった月が出ている。
雲の流れが速いので、今夜煌々と輝くこともあるだろう。

9月15日に十五夜が来ることは滅多にないらしい。

思い出そうとするが、前回がいつだったのかまったく記憶に無い。
その頃はきっと、月さえ仰げないような暮らしであったのだろう。

自分が、一番良かった頃、輝いていた頃、という言い回しを聞いたことがある。いやな日本語だなあ、常に今が一番じゃないのか。

幸いにも災いにも、健やかなる時も病める時も、富にも貧しきにも・・

さらに、若いときも、老いてのちも・・とは聖書には書いていないが、今東光氏は、ヨイヨイになっても、ヨイヨイにはヨイヨイの人生がある。と記述されておられた。

体がかなり回復してきたこの夏ごろから、思いもかけないフラッシュバックが起こる。それは、ほとんど小学生の頃の出来事で、そのときはいやだったが、すっかり忘れていた事柄なもの・・・であるから、じっくりと嫌さ加減を味わって、風船を針で突くように、抹消してしまう。

メモリーがいっぱいになって、削除しないと、次の記憶が入らないのだろう。
ぞんざいにしか向かい合ったことの無い父と夢の中で懇ろに話をしていることがある。
先に召された高校生に、叱咤されることもある。

亡くなった人たちに口説かれて大丈夫だろうか。

6月、7月、8月、9月と近しい人たちの中で出産が重なった。

せめて、あと16年は生きていてくださいよ・・と言われると、そうか、この先16年かけて生きる基本を学ぶ人、16年かけて跡を消して、去っていく者とが、同じところにいるのだ、と実感する。


去年、「とらや」で月見団子を買った。
立派な団子、立派な値段。
漉し餡は黒砂糖の味がした。

なんでや・・上新粉に黒砂糖は下品じゃわい。わしゃすかん。

饅頭に添えられ、使う気にもなれなかったとらやの黒文字を見るまでは、すっかり忘れていたことだ。

今年は、近くの松月菓舗。餡はこちらのほうが美味しい。

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ススキの絵皿は三浦順一氏

茶碗は、柿の蔕。

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抹茶は「城の寿」

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嬉しいにつけ、悲しいにつけ、この抹茶でお薄を点てるときの香りを、常に懐かしいとおもう。
しかし、耐えられないほどの悲しみも、持ちきれないほどの喜びもあったか・・といわれると、それはない。

めでたし。


# by coppoumon | 2016-09-15 23:02 | Comments(2)
2016年 09月 12日

秋の日のヴィオロンの音もなく

昨日、ヴォランティア団体であろう主催の美味しいもの紹介で、でてきたお茶碗はこれまでに手にしたもので、一番インパクトが強かった。

中を覗き込むと、リアス式海岸風で、船酔いしそうになった。と言うと大げさだが,茶溜まりが見えてくると、磯遊びを思い出す。
土は信楽のようで、ざらっとしていた。銘を「いそぎんちゃく」とする。
まあいいか。

お茶は家で普段使いしているものと、同じところのものだった。香りが良かった。

10時の休憩に、お薄を点てる。


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お菓子はありあわせの羊羹巻きである。名はない、と店主は無造作に答える。買うほうも、良い名前など思いつかない。

美味しいか?ときかれたら、悪くない・・というだろう。可もなく不可もなく。

お皿は、織部で松の葉で、と指定して見合いに焼いてもらった。
松葉は3~5本を呉須で、といい忘れていたら鉄絵で7本も描いてあった。お任せだから、それでいい。

今度、菓子を置いたときに、下を一列に横切っていく一隊のちいさな蟻たち・・・こういうお題で、作ってもらおうかなあ、などと、馬鹿なことを考えた。

こうもりが飛ぶ、カステーラを載せる皿がある。
中国の史話に疎いので、皿の絵の主題が何か、私には分からない。

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茶碗は各務周海氏作、天目茶碗。


# by coppoumon | 2016-09-12 12:16 | Comments(4)
2016年 09月 12日

秋の入り口

月に一度の五六市に合わせて、枚方市のおいしいものが紹介される。

このブログでも何度か鍵屋の記事をアップしているが、その鍵屋に立ち寄った。
メニュはきまっているので、食べたいものは、特に無かった。

お薄を頼んだ。多田製茶という宇治の山持ちの葉茶屋さんの抹茶がでてくる。
菓子は、古くからの名物、くらわんか焼き餅だった。

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そこに、「くらわんこ」というゆるキャラが登場。

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子どもたちもたくさんいたのだが、大人たちが大喜び。
それぞれ記念撮影をしたり、おばあさん連はハイタッチを繰り返したりで、かわいげのあろうはずのないおっちゃんまで、くらわんこと抱擁を繰り返しているのがほほえましい。

帰宅して、くらわんこのイメージが抜けず、「くらわんこを讃えて」というか「くらわんこ賛江」ハンバーグを作ってしまった。
ときどきハンバーグを作る。
ひき肉の良いのが手に入ることが分かったので、パン粉を作ってストックしているからだ。
たまねぎはみじん切りを生のまま、オレガノとナツメグを気分しだいの配分でいれる。
ソースはトマトのピュレがベースで、からしを溶いたり、ウスターがはいったり、でたらめである。
お惣菜なのだから、美味しければよい。

この日のメニュは、
ところてんのサラダ、トッピングはきゅうり、焼き豚。マスタードと三杯酢、すこし、マヨネーズ。
かぼちゃのいとこ煮。
ハンバーグ。パンの耳のせ。
アサリの味噌汁、麦ご飯。

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パンは、フランスで修行した、という宇治のボンヌ・ミッシュというパン屋さんのパリッと焼いた、中がもっちりした食パンの耳。

これをかるくトーストした。くらわんこの耳のイメージ。

外でハンバーグをたべることはまず無い。家で作ることもまず、無い・・と思っていたら、ブログ4回目の登場である。
家でつくると、美味しい。

冬になれば、このソースで小カブを煮込んだのを添えたりするだろうなあ。今回は、写っていないがうしろにかぼちゃがある。






# by coppoumon | 2016-09-12 11:17 | 常の日の惣菜 | Comments(0)
2016年 09月 09日

夏の間に弾いたもの 記録上の起点とします(2020年追記)

夏になると合宿のような、なにかの音楽講習会が開催されていたのだが、最近、これは、というものにお目にかからない。

あたりまえだが暑い夏であった。ミシェル・シャピュイが、10年連続で夏になるとやってきてフランスルネッサンスのオルガンを教えてくれた。
場所は甲府だったから、摂氏42度も経験した。

今年は、枚方で39度にはならなかったが、25日ほど連続熱帯夜だった。

寝て、起きてはエアコンの中で寝る。
そういう繰り返しの日々ではあったが、モーツアルトのコンチェルトをさらった。

19番から24番まで。
夏の間に弾いたもの 記録上の起点とします(2020年追記)_e0036151_21233032.jpg

20番、22番、23番はさらわなくても凡そ弾けるので、さらう必要のあるものを優先した。

黄色い楽譜はシャーマー。アールデコのでデザインは子供の頃からずっと変りが無い。

あと、25、26、27番をさらうか、それは来年の夏の楽しみにするか。

いまはベートーヴェンのコンチェルトが弾きたいと思うようになっている。




# by coppoumon | 2016-09-09 21:28 | 音楽の勉強 | Comments(0)
2016年 09月 09日

夏が遠ざかっていく

7月31日に、蓮花寺へ行った。
心のリズムを整えに、そうして生体リズムを整えに、である。
早朝であったので、誰もいなかった。
コンデジでは写し難いのだが、朝の光の美しさ、すばらしさに、時間を忘れそうになる。

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10分ほどの間に金色から、深い緑へと光がうつろう。
観光客がすこしずつ来られたようだ。
先にお茶室へ入られた方があったので、しばらく遠慮していたのだが、お寺の方から、お茶室へどうぞ・・と案内を受けた。

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先客は関東の方らしかった。

私に気づかれて、さ、そろそろ退出しましょう・・と立ち上がられた。

また静けさが戻ってきた。

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百日紅が盛りだった。

このあと、村里の中を御蔭神社、八瀬と歩いた。
八瀬で見る楽しみのひとつは樅の大木である。大樹・・というのかな。
切り倒して、どれほどの幅広の板が取れるだろう、と不謹慎なことを考えてしまう。

樅の木目を好きである。子供の頃、掘りごたつの天板がモミの木だった。出来てきた時は真っ白で、染みなどつけないように、大切にしたものだった。
幅広の板であったから、大きな木だったに違いない。

八瀬とは何の関係も無いことを、思い出しながら、歩く。
そうして駅前で柴漬けを求めて帰る。

次に蓮華寺界隈を訪れるときは、秋雨の、すこしひんやりとした朝の時間に、御蔭神社の林の中で、きのこを見て楽しんでいるだろう、とおもう。


# by coppoumon | 2016-09-09 21:11 | Comments(0)